第4、第5、第6の哨戒 1942年2月 - 8月
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「パーミット (ポーパス級潜水艦)」の記事における「第4、第5、第6の哨戒 1942年2月 - 8月」の解説
2月22日、パーミットは4回目の哨戒でコレヒドール島に向かった。この哨戒は特別任務であり、先に2月19日にソードフィッシュ (USS Swordfish, SS-193) がコレヒドール島に達していた。同島はまだ日本軍の猛攻に対して持ちこたえていた。今度はパーミットが封鎖された「ロック」へ行く番であった。3月13日、パーミットはタガウアヤン島近海で魚雷艇 PT-32 と会合。PT-32 は、燃料不足とエンジンの損傷により艇を放棄せざるを得ない状況だった。パーミットは PT-32 の乗組員を収容の上、3インチ砲で PT-32 を砲撃処分した。3月15日から16日にかけての夜、パーミットはコレヒドール島沖に到達し、レンジャー部隊 USMT RANGER と会合し、諜報部の暗号解読班要員36名を含む40名の士官と兵、PT-32 の乗組員、3インチ砲弾150発および機銃弾約50,000発などの弾薬を上陸させた。3月17日、パーミットはルソン島南部のタヤバス湾(英語版)で駆逐艦暁、響、雷と遭遇し、ただちに潜航したものの、2日がかりの爆雷攻撃で司令塔が小破した。4月6日、パーミットは44日間の行動を終えてオーストラリアのフリーマントルに帰投した。 5月5日、パーミットは5回目の哨戒でマカッサル海峡方面に向かった。セレベス島マカッサルとボルネオ島バリクパパンを結ぶ敵航路上で哨戒を行い、5月25日と5月29日にバリクパパン沖で貨物船に対して雷撃を行ったが、戦果はなかった。6月11日、パーミットは38日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 7月12日、パーミットは6回目の哨戒で真珠湾に向かった。道中の針路をアンボン沖、ダバオ湾(英語版)およびマリアナ諸島に設定する。7月26日までアンボン沖で哨戒を行った後、7月27日から8月9日まではダバオ湾方面で哨戒。その後はマリアナ諸島方面で、サイパン島、パラオ、トラック諸島および小笠原諸島を結ぶ航路を哨戒した。8月30日、パーミットは50日間の行動を終えて真珠湾に帰投。その後オーバーホールのためメア・アイランド海軍造船所に回航され、攻撃力アップを企図して外装魚雷発射管が装備され、艦橋も改修された。
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