第4、第5、第6の哨戒 1942年2月 - 8月とは? わかりやすく解説

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第4、第5、第6の哨戒 1942年2月 - 8月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/10 21:08 UTC 版)

パーミット (ポーパス級潜水艦)」の記事における「第4、第5、第6の哨戒 1942年2月 - 8月」の解説

2月22日パーミット4回目の哨戒コレヒドール島向かった。この哨戒特別任務であり、先に2月19日ソードフィッシュ (USS Swordfish, SS-193) がコレヒドール島達していた。同島はまだ日本軍猛攻に対して持ちこたえていた。今度パーミット封鎖された「ロック」へ行く番であった3月13日パーミットはタガウアヤン島近海魚雷艇 PT-32 と会合。PT-32 は、燃料不足エンジン損傷により艇を放棄せざるを得ない状況だった。パーミットは PT-32 の乗組員収容の上、3インチ砲で PT-32 を砲撃処分した3月15日から16日にかけての夜、パーミットコレヒドール島沖に到達しレンジャー部隊 USMT RANGER会合し諜報部暗号解読要員36名を含む40名の士官と兵、PT-32 の乗組員、3インチ砲弾150発および機銃弾約50,000発などの弾薬上陸させた。3月17日パーミットルソン島南部のタヤバス湾(英語版)で駆逐艦暁、響、遭遇し、ただちに潜航したものの、2日がかりの爆雷攻撃司令塔小破した。4月6日パーミット44日間行動終えてオーストラリアフリーマントル帰投した。 5月5日パーミット5回目哨戒マカッサル海峡方面向かったセレベス島マカッサルボルネオ島バリクパパンを結ぶ敵航路上で哨戒行い5月25日5月29日バリクパパン沖で貨物船に対して雷撃行ったが、戦果はなかった。6月11日パーミット38日間行動終えてフリーマントル帰投した。 7月12日パーミット6回目哨戒真珠湾向かった道中針路アンボン沖、ダバオ湾(英語版)およびマリアナ諸島設定する7月26日までアンボン沖で哨戒行った後、7月27日から8月9日まではダバオ方面哨戒その後マリアナ諸島方面で、サイパン島パラオトラック諸島および小笠原諸島を結ぶ航路哨戒した。8月30日パーミット50日間行動終えて真珠湾帰投その後オーバーホールのためメア・アイランド海軍造船所回航され、攻撃力アップ企図して外装魚雷発射管装備され艦橋改修された。

※この「第4、第5、第6の哨戒 1942年2月 - 8月」の解説は、「パーミット (ポーパス級潜水艦)」の解説の一部です。
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