第4、第5、第6、第7の哨戒 1943年1月 - 10月とは? わかりやすく解説

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第4、第5、第6、第7の哨戒 1943年1月 - 10月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/06 22:29 UTC 版)

グルーパー (潜水艦)」の記事における「第4、第5、第6、第7の哨戒 1943年1月 - 10月」の解説

1943年1月21日、グルーパーは4回目の哨戒ソロモン諸島方面向かったベララベラ島近海で「東京急行」を警戒しつつ、1月28日には南緯0737東経15647分 / 南緯7.617度 東経156.783度 / -7.617; 156.783の地点で2隻の輸送船構成され輸送船団発見し魚雷3本発射した命中しなかった。1月31日にも南緯0738東経15654分 / 南緯7.633度 東経156.900度 / -7.633; 156.900の地点で2隻の護衛艦がついた輸送船発見するが、先手取られ爆雷攻撃受けた2月4日、グルーパーは24隻もの駆逐艦からなる東京急行」と航空機との戦い観測する2月8日から10日にかけてはレンギ島に不時着していたハドソンパイロットであるローレンス・ロバート・マックラ中尉救助また、ソロモン諸島ニューギニア北岸沿岸部におけるいくつかの主要な日本軍レーダー基地発見した3月18日、グルーパーは56日間行動終えてブリスベン帰投艦長マーティン・P・ホッテル少佐アナポリス1927年組)に代わった。 4月12日、グルーパーは5回目哨戒ソロモン諸島方面向かったブカ島近海哨戒した後、ラバウルウェワクパラオ間の交通路哨戒転じた5月12日未明、グルーパーは南緯0303東経14328分 / 南緯3.050度 東経143.467度 / -3.050; 143.467の地点駆潜艇発見追跡していくと、夕刻には4隻の大型輸送船基幹とする輸送船団遭遇する。しかし、先に爆雷攻撃仕掛けてきたので攻撃機会がなく、夜になって浮上すると、輸送船団の姿は消えていた。それでもグルーパーは追跡継続し間もなく南緯0249東経14340分 / 南緯2.817度 東経143.667度 / -2.817; 143.667の地点朝潮型駆逐艦推定され駆逐艦発見する相手がグルーパーの存在気づいて反転してきたため潜航し爆雷攻撃しのいで駆逐艦去っていくのをただ待つのみであった結局、この哨戒では魚雷発射機会はなかった。5月29日、グルーパーは47日間行動終えてブリスベン帰投した。 6月19日、グルーパーは6回目哨戒ビスマルク諸島ニューギニアソロモン諸島方面向かった7月13日、グルーパーは南緯0002東経14500分 / 南緯0.033度 東経145.000度 / -0.033; 145.000の地点で3隻の4,000トン輸送船と1隻の6,000トン輸送船からなる輸送船団発見するが、爆雷攻撃動き封じられる護衛艦をやり過ごした後、浮上して追跡するスコール見失ってしまう。間もなくレーダー使用して追跡再開し夜になって再び輸送船団接触し三度わたって計6本もの魚雷発射したが、戦果はなかった。2日後7月15日には、北緯0056東経15052分 / 北緯0.933度 東経150.867度 / 0.933; 150.867の地点駆逐艦護衛された「神川丸水上機母艦」と「日章丸タンカー」を発見し魚雷を4本発射する魚雷命中しなかったが、グルーパーの頭上通過した駆逐艦からの反撃もなかった。トラック諸島ショートランド間の交通路転じた後、7月19日北緯0034東経14920分 / 北緯0.567度 東経149.333度 / 0.567; 149.333の地点輸送船団発見したが、この時もまた爆雷攻撃攻撃機会逸した8月3日、グルーパーは46日間行動終えてブリスベン帰投した。 8月25日、グルーパーは7回目哨戒ビスマルク諸島方面向かった9月10日、グルーパーは北緯0505東経14955分 / 北緯5.083度 東経149.917度 / 5.083; 149.917の地点輸送船発見し魚雷を4本発射して1本命中させたと判定される続いて東亜丸タンカーに対して魚雷を6本発射したが、全て外れた9月20日にも北緯0002東経15029分 / 北緯0.033度 東経150.483度 / 0.033; 150.483の地点敷設艇思しき艦艇護衛する5隻の輸送船団接近し輸送船に対して魚雷を4本発射してうち1本が命中したものと判断された。ラバウルトラック間の海域哨戒後、9月28日から29日にかけてはニューブリテン島南岸部接近し50人のゲリラと3,000ポンド物資降ろし代わりに島に遭難していたアメリカ陸軍航空隊パイロット収容した1943年におけるグルーパーの定期的な哨戒活動は、自身戦果挙げることはなかったが、他方面の活動戦局寄与した10月11日、グルーパーは47日間行動終えて真珠湾帰投10月19日からカリフォルニア州サンフランシスコハンターズ・ポイント海軍造船所オーバーホール受けたまた、艦長フレデリック・H・ウォリング少佐アナポリス1933年組)に代わった。オーバーホール終えたグルーパーは、1944年1月7日真珠湾戻った

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