第4、第5の哨戒 1945年5月 - 8月・バーニー作戦とは? わかりやすく解説

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第4、第5の哨戒 1945年5月 - 8月・バーニー作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/15 13:33 UTC 版)

シードッグ (潜水艦)」の記事における「第4、第5の哨戒 1945年5月 - 8月・バーニー作戦」の解説

5月27日シードッグ4回目の哨戒バーニー作戦参加して日本海向かった。このバーニー作戦は、この時点日本残されたほぼ唯一の重要航路打撃与えるものであり、対馬海峡機雷原突破日本海悠然と航行する日本船は、目標減少嘆いていた潜水艦部隊にとっては絶好スリルであり獲物であった。この作戦には9隻の潜水艦投入され「ヘルキャッツ」 Hellcats と命名された。各潜水艦は三群に分けられシードッグのハイデマン艦長総司令となったシードッグはクレヴァル (USS Crevalle, SS-291)、スペードフィッシュ (USS Spadefish, SS-411) と共にウルフパック「ハイデマンズ・ヘップキャッツ」 Hydeman's Hep Cats組み第一陣として6月4日までに対馬海峡進出する予定であった。ところが、翌28日になってシードッグ乗組員一人急病になり、肺炎診断された。シードッグ急遽引き返し5月29日駆逐艦ラムソン (USS Lamson, DD-367) と会合し患者移動させた上、改め対馬海峡移動したリレー式に対馬海峡突破したシードッグ以下の潜水艦は三群それぞれの担当海域向かい6月9日日の出時の攻撃開始待った。「ハイデマンズ・ヘップキャッツ」は北海道西部海域から新潟沖に進出しシードッグ佐渡島東岸位置した9日20時過ぎシードッグ佐渡島姫埼灯台東北10海里地点で、舷灯をつけて七尾向かって航行中佐川丸(三井船舶、1,189トン)を発見佐川丸の左舷魚雷1本を命中させ、佐川丸は船首先にして沈んでいった。23分後、今度昭陽丸(馬場汽船、2,211トン)を発見し魚雷3本発射。うち1本が昭陽丸の船尾命中しシードッグはさらに止めとして2本の魚雷発射。1本は不安定な動作をして命中しなかったものの、もう1本は昭陽丸の中央部命中昭陽丸は爆発して沈没していった。これが、バーニー作戦最初戦果だった。 2隻撃沈後シードッグ酒田秋田沖移動した6月10日男鹿半島中心に夜まで象潟飛島方面哨戒し、翌11日男鹿半島方面戻った13時ごろ、シードッグ沿岸貨物船発見し浮上して西へ北へ追跡した15時19分、シードッグ潜航し15時55分に公福丸三光汽船753トン)に向けて魚雷を1本発射43秒後に命中爆発し、公福丸船体2つ割れて沈没していった。シードッグは再び南に向かいその夜入道崎巡って哨戒した。6月12日6時35分、シードッグ艫作近海浅海航行中の小輸送船団発見シードッグ海岸から最も離れて航行してる船を目標選び魚雷発射魚雷神仙丸(栗林商船、887トン)に命中し神仙丸は2つ折れて2分で沈没した仲間の船は神仙沈没後、海岸方に逃げていった。シードッグ攻撃後、南西方向に進んだ6月13日シードッグ引き続き男鹿半島近海哨戒していた。その夜シードッグ右舷側にあるFMソナーにつながるケーブル損傷していることが分かりシードッグ日本本土目と鼻の先航行止めて洋上修理取り掛かった。しかし、ダイバーを潜らせて作業したものの、浅海では作業十分に出来ず修理不可能と判断された。6月14日1時30分に航行再開し低速航行すると、右舷シャフト起因する雑音振動明らかになった。この雑音振動は、高速ではあまり気にも留めないレベルだった。シードッグ秋田酒田新潟を結ぶ海域向かった同日昼、シードッグ右舷シャフト止め潜航した直後酒田方面に向かう2隻の貨物船発見攻撃試みた出来なかった。シードッグ北上し6月15日5時10分に、北緯3957東経13940分 / 北緯39.950度 東経139.667度 / 39.950; 139.667の男鹿半島北端付近で、南に向かって航行中弘安丸(藤山海運、661トン)を発見シードッグは、弘安丸の前部魚雷命中させ、弘安丸は4分で沈んだシードッグ周辺海岸から弘安生存者救助しに行く小型船発見し、この海域を後にした。 6月17日シードッグはクレヴァル、スペードフィッシュ再会し、北に向かって北海道神威岬周辺海域哨戒した。6月19日6時過ぎ、シードッグ北緯4311東経140度18分 / 北緯43.183度 東経140.300度 / 43.183; 140.300の積丹半島沖で海岸沿って北に向かう3隻の商船発見シードッグは3隻に対しそれぞれ2本ずつ魚雷発射3番目の船は方向変え先頭紅海丸(大阪商船、1,273トン)には魚雷命中し紅海丸は船尾から沈没したシードッグ2番目の船を攻撃しようとしたが敵機発見され深度35メートル下がって航空機かわしたその後浮上し北に向かったシードッグはさらに数日間哨戒し、6月24日夜に宗谷海峡西側到着6月19日討ち取られたボーンフィッシュ (USS Bonefish, SS-223) 以外のシードッグ以下の各潜水艦は翌25日正午濃霧の中を二列縦陣浮上航行海峡通過しオホーツク海入った6月30日ミッドウェー島寄港7月5日シードッグ39日間行動終えて真珠湾帰投した。 8月13日シードッグ5回目哨戒向かったが、翌8月14日交戦停止命令を受け、8月15日真珠湾への帰還命じられた。

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