第4、第5の哨戒 1945年5月 - 8月・バーニー作戦
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「シードッグ (潜水艦)」の記事における「第4、第5の哨戒 1945年5月 - 8月・バーニー作戦」の解説
5月27日、シードッグは4回目の哨戒でバーニー作戦に参加して日本海に向かった。このバーニー作戦は、この時点の日本に残されたほぼ唯一の重要航路に打撃を与えるものであり、対馬海峡の機雷原突破と日本海を悠然と航行する日本船は、目標の減少に嘆いていた潜水艦部隊にとっては絶好のスリルであり獲物であった。この作戦には9隻の潜水艦が投入され「ヘルキャッツ」 Hellcats と命名された。各潜水艦は三群に分けられ、シードッグのハイデマン艦長が総司令となった。シードッグはクレヴァル (USS Crevalle, SS-291)、スペードフィッシュ (USS Spadefish, SS-411) と共にウルフパック「ハイデマンズ・ヘップキャッツ」 Hydeman's Hep Cats を組み、第一陣として6月4日までに対馬海峡に進出する予定であった。ところが、翌28日になってシードッグの乗組員の一人が急病になり、肺炎と診断された。シードッグは急遽引き返し、5月29日に駆逐艦ラムソン (USS Lamson, DD-367) と会合して患者を移動させた上、改めて対馬海峡に移動した。 リレー式に対馬海峡を突破したシードッグ以下の潜水艦は三群それぞれの担当海域に向かい、6月9日日の出時の攻撃開始を待った。「ハイデマンズ・ヘップキャッツ」は北海道の西部海域から新潟沖に進出し、シードッグは佐渡島の東岸に位置した。9日20時過ぎ、シードッグは佐渡島姫埼灯台東北10海里の地点で、舷灯をつけて七尾に向かって航行中の佐川丸(三井船舶、1,189トン)を発見。佐川丸の左舷に魚雷1本を命中させ、佐川丸は船首を先にして沈んでいった。23分後、今度は昭陽丸(馬場汽船、2,211トン)を発見し、魚雷を3本発射。うち1本が昭陽丸の船尾に命中し、シードッグはさらに止めとして2本の魚雷を発射。1本は不安定な動作をして命中しなかったものの、もう1本は昭陽丸の中央部に命中。昭陽丸は爆発して沈没していった。これが、バーニー作戦最初の戦果だった。 2隻撃沈後、シードッグは酒田と秋田沖に移動した。6月10日は男鹿半島を中心に夜まで象潟、飛島方面を哨戒し、翌11日に男鹿半島方面に戻った。13時ごろ、シードッグは沿岸貨物船を発見し、浮上して西へ北へと追跡した。15時19分、シードッグは潜航し、15時55分に公福丸(三光汽船、753トン)に向けて魚雷を1本発射。43秒後に命中、爆発し、公福丸は船体が2つに割れて沈没していった。シードッグは再び南に向かい、その夜は入道崎を巡って哨戒した。6月12日6時35分、シードッグは艫作岬近海の浅海を航行中の小輸送船団を発見。シードッグは海岸から最も離れて航行してる船を目標に選び、魚雷を発射。魚雷は神仙丸(栗林商船、887トン)に命中し、神仙丸は2つに折れて2分で沈没した。仲間の船は神仙丸沈没後、海岸の方に逃げていった。シードッグは攻撃後、南西方向に進んだ。 6月13日、シードッグは引き続き男鹿半島近海で哨戒していた。その夜、シードッグの右舷側にあるFMソナーにつながるケーブルが損傷していることが分かり、シードッグは日本本土の目と鼻の先で航行を止めて洋上修理に取り掛かった。しかし、ダイバーを潜らせて作業したものの、浅海では作業が十分に出来ず修理は不可能と判断された。6月14日1時30分に航行を再開し、低速で航行すると、右舷側シャフトに起因する雑音と振動が明らかになった。この雑音と振動は、高速ではあまり気にも留めないレベルだった。シードッグは秋田、酒田、新潟を結ぶ海域に向かった。同日昼、シードッグは右舷側シャフトを止め、潜航した。直後、酒田方面に向かう2隻の貨物船を発見。攻撃を試みたが出来なかった。シードッグは北上し、6月15日5時10分に、北緯39度57分 東経139度40分 / 北緯39.950度 東経139.667度 / 39.950; 139.667の男鹿半島北端付近で、南に向かって航行中の弘安丸(藤山海運、661トン)を発見。シードッグは、弘安丸の前部に魚雷を命中させ、弘安丸は4分で沈んだ。シードッグは周辺海岸から弘安丸生存者を救助しに行く小型船を発見し、この海域を後にした。 6月17日、シードッグはクレヴァル、スペードフィッシュと再会し、北に向かって北海道神威岬周辺の海域を哨戒した。6月19日6時過ぎ、シードッグは北緯43度11分 東経140度18分 / 北緯43.183度 東経140.300度 / 43.183; 140.300の積丹半島沖で海岸に沿って北に向かう3隻の商船を発見。シードッグは3隻に対しそれぞれ2本ずつ魚雷を発射。3番目の船は方向を変え、先頭の紅海丸(大阪商船、1,273トン)には魚雷が命中し、紅海丸は船尾から沈没した。シードッグは2番目の船を攻撃しようとしたが敵機に発見され、深度35メートルに下がって航空機をかわした。その後浮上し北に向かった。 シードッグはさらに数日間哨戒し、6月24日夜に宗谷海峡西側に到着。6月19日に討ち取られたボーンフィッシュ (USS Bonefish, SS-223) 以外の、シードッグ以下の各潜水艦は翌25日正午に濃霧の中を二列縦陣、浮上航行で海峡を通過し、オホーツク海に入った。6月30日にミッドウェー島に寄港。7月5日、シードッグは39日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 8月13日、シードッグは5回目の哨戒に向かったが、翌8月14日に交戦停止命令を受け、8月15日に真珠湾への帰還を命じられた。
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