現地ゲリラとの接触
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/16 02:05 UTC 版)
「フライアー (潜水艦)」の記事における「現地ゲリラとの接触」の解説
8月19日朝、一人早く起きたジェイコブソン少尉は英語が通じる若いフィリピン人のゲリラと遭遇した。ゲリラは生存者達を20名ほどが野営する彼らの野営本部へ連れて行った。ゲリラのうちの数名は沈没した潜水艦の生存者を捜索するためにバグスク島を訪れた、パラワン島からの捜索隊であった。生存者達は捜索隊が彼らではなく3週間ほど前に同水域で沈没したロバロー (USS Robalo, SS-273) の乗組員を捜していたことを知って失望した。捜索隊はボートで8月20日から3日間をかけて生存者をパラワン島のプリルヤン岬へ移動させた。彼らはそこで、バラバク島でロバローの生存者を捜索していた別の捜索隊と合流した。その後数日をかけてパラワン島の東へ移動し、彼らは8月23日にサー・ジョン・ブルックス・ポイントに設営した拠点に到着した。拠点は数日前に潜水艦で上陸した、メイヤー陸軍大佐率いるユサッフェ沿岸監視部隊の拠点でもあり、同部隊は第7艦隊司令官トーマス・C・キンケイド中将へ打電することに同意した。生存者は救援を待ったが、彼らは5マイル山側のアメリカ人のエドワーズが所有する取引所へ移動した。生存者達は第7艦隊司令官への、潜水艦での回収日時や認識信号を手配し、現地のモロ人から動力艇の借用を打ち合わせた。8月29日、クローリー艦長以下生存者たちの収容のために、レッドフィン (USS Redfin, SS-272) が差し向けられることとなったことが知らされた。
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