現地の戦況とは? わかりやすく解説

現地の戦況

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 18:00 UTC 版)

ろ号作戦」の記事における「現地の戦況」の解説

1943年6月30日連合軍によるレンドバ島上陸に始まる中部ソロモンを巡るニュージョージア島の戦いは、9月28日に始まる「セ号作戦」によって日本現地部隊は、ニュージョージア島コロンバンガラ島から撤退し10月6日にはベララベラ島からも撤退した。これに先立って7月27日にはイサベル島のレカタ基地撤収しており、秋に中部ソロモンから日本軍の姿が消えることとなったまた、日本軍南東方面確保すべき要域として戦闘続いていた東部ニューギニアラエおよびサラモア地区も、9月4日ラエ東方ホポイに連合軍上陸、その北方ナサブには空挺部隊降下し、この結果ラエ日本軍サラモア迂回しワウ付近から北上する連合軍部隊との間で三方から包囲される体勢となった。これによりラエサラモア地区急速に事態悪化周辺地域から後退しつつラエ付近に集結した日本軍守備隊一路サラワケット山脈越えてフォン半島北部シオ英語版)へ転進決めたサラワケット越え)。しかし連合軍の攻勢止まず9月22日にはそのフォン半島先端北部位置するアント岬(英語版)に上陸、その南方半島先端部の要衝フィンシュハーフェンへと迫った当時この付近日本軍部隊広く分散しておりまた、フォン半島南部のホポイに上陸した連合軍対す備えのため、部隊多く半島南部展開していた。連合軍その日本軍の手薄な、しかもダンピール地区要衝フィンシュハーフェン間近である半島先端部の北部上陸してきたのであるこのため日本軍は対応に手間取り10月4日には早くも連合軍フィンシュハーフェン飛行場占領、これを使用し始めたその後マダン方面から陸路送られ第20師団攻撃10月16日より開始されたが、同地奪回はならず24日にはフィンシュハーフェンの西サテルベルグ(英語版高地後退した詳細は「フィンシュハーフェンの戦い」を参照 ラム河谷ではラエ・サラモア地区から西進しオーストラリア軍日本軍との激し戦闘続いていた。 詳細は「ラム河谷の戦い英語版)」を参照 10月12日にはキリウイナ島基地から飛び立った米第5空軍所属大型爆撃機87機、中型爆撃機114機、ビューファイター12機、P-38戦闘機125機、その他合計349機による、連合軍による初のラバウル昼間爆撃があった。こうした状況下、南東方面10月後半前線は、東部ニューギニア西部ニューブリテン島をつなぐダンピール海峡周辺からソロモン諸島ブーゲンビル島ショートランド諸島の線にまで後退していた。 また、昨年末来積極的な活動見えなかった米機動部隊5月以降新造空母エセックス級インディペンデンス級増勢などを受けた結果秋に正規空母6隻、軽空母5隻となり日本海軍に対してようやく優位な陣容構えるにいたり、8月31日ベーカー島空襲皮切りに再び活動開始9月1日南鳥島同月16日にはギルバート諸島、そして10月にはウェーク島相次いで空襲大本営は「敵機部隊による本土空襲のおそれあり」と警報発したこのため連合艦隊はこれを迎え撃つため「連合艦隊Z作戦要領」に従いトラックから第二艦隊第三艦隊中心とする機動部隊出撃することとなった1943年9月初め連合艦隊内地米軍無線傍受行っていた通信隊から米軍無線通信増加電文中に見慣れぬ艦名符号現れたことから、近く何かの作戦起こす可能が高いとの報告受けていた。9月18日第二艦隊重巡洋艦部隊及び第二水雷戦隊)、第三艦隊空母翔鶴瑞鶴戦艦金剛榛名からなる機動部隊瑞鳳トラックにて待機)は訓練兼ねてトラック出撃マーシャル諸島沖へ向かった直後レキシントンプリンストンベロー・ウッドの三隻の空母からなるアメリカ海軍機動部隊ギルバート諸島空襲した。第二第三艦隊そのままマーシャル諸島ブラウン環礁(別名エニウェトク環礁)へ到着9月21日空母瑞鳳駆逐艦野分舞風合流し決戦備えたが、アメリカ海軍機動部隊そのまま真珠湾帰ってしまったため、25日トラック帰還した詳細は「ウェーク島の戦い」を参照 10月6日、米機動部隊ウェーク島空襲した。これに対し連合艦隊は、9月1日南鳥島空襲19日ギルバート諸島空襲同様に攻略意図のない一過性のものでありまた、この空襲南東方面への新攻勢関連した陽動作戦判断し、むしろダンピール地区への警戒命令し七〇二空陸攻18機をマーシャル方面へ送ることを命令した以外は事態静観する体勢であった。しかし翌7日も同島は空襲受けたため、連合艦隊事態容易ならぬことを知りZ作戦中の「丙作戦第一警戒」(ウェーク島方面敵来攻時のZ作戦)を発令しトラック在泊の艦隊出撃準備命じた。しかし翌8日敵情判断により攻略意図なしと判断警報解除し艦隊出撃準備取りやめ、七〇二空陸攻ラバウル帰投した。しかし、米機動部隊その後の動静不明であり、そんな中軍令部諸情報総合的に判断した結果中部太平洋方面または本州方面敵機部隊来攻の兆しありと判断し10月14日各部警戒指示本土練成中であった第一航空艦隊連合艦隊指揮下に入れた。だが連合艦隊では燃料事情逼迫のため、艦隊出撃対し慎重になっており、通信情報などから敵艦船の活発な移動は米西岸ハワイ間のものであり、機動部隊来襲の算は少ないと判断していた。そのためZ作戦発令せず、念のため本土方面来襲措置をとるに留め、この結果角田覚治中将率い第一航空艦隊司令部15日朝に練成先の鹿屋出発同日中に霞ヶ浦進出した。しかし16日になり、軍令部は再び機動部隊来襲対す警報発した連合艦隊では敵機部隊来襲に対して上記判断立っていたが、この再度警報接し中央のこの判断連合艦隊入手するもの以外の新たな情報源基づいた判断ではないか考え同日「丙作戦第五法」(ウェーク島マーシャル諸島に敵が同時に来攻する場合Z作戦)を発令した17日第二艦隊第三艦隊、及び第一戦隊、第二戦隊(この二つ戦隊戦艦大和武蔵長門扶桑からなる戦艦部隊)よりなる決戦部隊トラック出発19日ブラウン環礁に入泊した同日真珠湾偵察向かった潜水艦艦載機米空母が六隻とも真珠湾停泊中と報告22日夕方になり軍令部敵機部隊来襲のおそれなしと判断警戒措置解除した一方連合艦隊23日ブラウン発進24日ウェーク島南西200浬にて索敵したが敵情得ず25日戦艦部隊目標とする航空戦訓練艦艇による射撃訓練などを実施26日「丙作戦第五法」を解除しトラック帰投した。この結果艦隊用の燃料大量に消費し以後作戦支障を来す事態となってしまった。中澤佑軍令部第一部長による業務日誌10月28日記事には、連合艦隊燃料事情についての以下のような記事がある。 GF連合艦隊燃料 GF五万トン消費セリ 3F第三艦隊) 2Sd(第二水雷戦隊10月出動可能。 3F+2F第二艦隊11月初旬出動可能。 3F+2F+1S第一戦隊) 11月10日出動可能。 全力 11月中旬以後トラック基地備蓄されている燃料内地からもたらされていた関係上、その航路上でタンカー潜水艦攻撃を受けるとトラック基地燃料事情が即悪化するような状況になっており、1943年の夏頃から米潜水艦活動活発化10月中だけでタンカー喪失大破は4隻、4トンに及び、艦隊随伴できる給油艦もなく燃料補給にも事欠くような状況だった。こうした状況下で連合艦隊10月27日連合軍モノ島上陸の報に接することになった

※この「現地の戦況」の解説は、「ろ号作戦」の解説の一部です。
「現地の戦況」を含む「ろ号作戦」の記事については、「ろ号作戦」の概要を参照ください。

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