連合軍の攻勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 04:12 UTC 版)
「ポートモレスビー作戦」の記事における「連合軍の攻勢」の解説
アメリカ軍第126連隊の第2大隊は陸路10月25日ジャウレに達し、ジャウレ道からブナ地区を目指した。第126連隊の第1大隊は11月8日ファサリに空輸されファサリからポンガニへ向い、ポンガニには第126連隊の第3大隊も空輸され、揃った第126連隊の2個大隊はボーフへ進撃し、東から大きく遠回りして日本軍の側面を突く手はずを整え、東部ニューギニアの北海岸沿いにブナを目指す侵攻路も企図した。 11月16日、オーストラリア軍の1個大隊が小型戦車・トラック・ブルトーザーとともにオロ湾に上陸しワニゲラ飛行場を占拠した。確保されたワニゲラ飛行場へアメリカ軍の第128連隊とオーストラリア軍の2個中隊などがポートモレスビーから空輸され、第128連隊は11月21日にブナ東側の陣地に達し、飛行場を防衛する日本軍の攻撃を開始した この戦闘はニューギニアに上陸したアメリカ軍地上部隊にとって初の地上戦であったが、ほとんどが州兵部隊であり、錬度などに問題があった。日本軍やオーストラリア軍が歩兵による接近戦をよく行ったのに対してアメリカ軍は迫撃砲を延々と撃ちこみながらの前進であった。また命令の誤伝達や誤爆の頻発、特にアメリカ軍の指揮官に同姓同名の者がいたことによる混乱などがおきたため、オーストラリア軍の部隊日誌にはマッカーサー指揮下のアメリカ軍について「見るに耐えないくらいの無能」と評価された。 アメリカ軍は支援のため、ミルン湾から鹵獲した大発動艇に戦車を載せて輸送しようとしたが重量の見積もりのミスによって戦車もろとも海没してしまった。 マッカーサー大将は、第32歩兵師団、第41歩兵師団を基幹としたアメリカ陸軍第1軍団の軍団長ロバート・アイケルバーガー少将に、「ブナを奪え、さもなくば生きて帰るな (I want you to take Buna, or not come back alive)」と厳命し、12月1日ブナへ派遣した。またマッカーサー大将自身もオーストラリアからポートモレスビーに移り、アメリカ軍は総攻撃の体勢を整えた。 ブリズベンから進出してきたアメリカ陸軍の前進航空隊は、ブナ・ゴナ地区への空襲を強化しつつ、ポートモレスビーやラビの基地から偵察機を飛ばしてダンピール海峡を厳重に監視し、日本軍の増援部隊上陸を妨害した。また、日本軍がそうだったように連合軍も補給線が延びて、スタンレー山脈の存在が輸送を困難にさせていた。海上も日本軍の空襲を受け安全ではなかった。そのため、この方面に展開するアメリカ・オーストラリア軍航空隊は空中投下を頻繁に行い、ココダの飛行場を占領した後は飛行場を整備した上でココダへ食料、武器、弾薬を空輸させた。
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