連合軍の決断
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 05:52 UTC 版)
「ヨークタウン方面作戦」の記事における「連合軍の決断」の解説
ラファイエット、アーノルドおよびフィリップスがバージニアで動いている間に、連合軍の指導層、ワシントン将軍とロシャンボー伯爵はその選択肢を検討した。5月6日、コンコルドがボストンに到着し、その2日後にワシントン将軍とロシャンボー伯爵はド・バラス伯爵と重要な伝言および資金の到着を知らされた。5月23日と24日、ワシントン将軍とロシャンボー伯爵はコネチカットのウェザーズフィールドで会合を開き、次にどのような手段を採るかを検討した。かれらはロシャンボーが受けた命令に従い、ロシャンボーがその軍隊をニューポートから大陸軍の宿営するニューヨークのホワイトプレインズに移動させることにした。さらにド・グラス伯爵には可能性がある2つの作戦を説明する伝令を発することにした。ワシントン将軍はニューヨーク市を攻撃するアイディアを好んだが、ロシャンボー伯爵はイギリス軍の防御態勢が弱いバージニアで作戦行動を行うことを好んだ。ワシントンからド・グラスに宛てた手紙ではこれら2つの選択肢を説明していた。ロシャンボーは私信でド・グラスに自分の好みを伝えていた。最終的にロシャンボーは、ド・バラスが命令されてきていた北部への遠征に向かうのではなく、2つの作戦のどちらでも支援できるようにその艦隊を準備しておくように言い含めた。コンコルドは6月20日にニューポートを出港し、ワシントン、ロシャンボーおよびド・バラスからの伝言、さらにド・グラスが要請していた水先人を運んだ。フランス陸軍は6月にニューポートを離れ、7月7日にニューヨークのドブズフェリーでワシントン軍と合流した。ワシントンとロシャンボーはド・グラスからの伝言を待つ間、ニューヨーク市周辺のイギリス軍防御度を視察する旅に出発した。 ド・グラスは西インド諸島で幾らかの成功を収めていた。その軍勢はイギリス艦隊と小さな海戦を行った後の6月にトバゴ島を占領していた。その後はド・グラスもイギリス海軍のジョージ・ロドニー提督も重要な海戦を避けていた。ド・グラスが7月16日にキャップ・フランセに到着すると、コンコルドが彼の到着を待っていた。ド・グラスは即座にスペインとの交渉に入った。ド・グラスは北に向けて出帆する意図を伝えたが、そのいない間にスペインにその地域を任せることの代償に、11月には戻ってきてスペインの作戦を支援すると約束した。スペイン側からフランスの商船と領土を守る約束を取り付けたので、全艦隊である28隻の戦列艦を率いて北に向かうことができた。この艦隊に加えて、サンシモン侯爵指揮で3,500名の兵士を載せており、ハバナに居るスペインに対してはロシャンボーの軍隊に支払うために必要な資金を要請していた。7月28日、ド・グラスはコンコルドをニューポートに向けて出帆させ、ワシントン、ロシャンボーおよびド・バラスに8月末までにはチェサピーク湾に到着すること、10月半ばまでには戻る必要があることを伝えさせた。ド・グラスは8月5日にキャップ・フランセを出港し、意図的にバハマのあまり使われていない海峡を通って緩りと北に向かった。
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