連合軍の攻撃とは? わかりやすく解説

連合軍の攻撃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/13 02:03 UTC 版)

フォントノワの戦い (1745年)」の記事における「連合軍の攻撃」の解説

5月11日午前5時すぎ、両軍の間で砲戦交わされ会戦開始された。数時間かけて連合軍フランス軍相対した戦列形成し終えた後、午前9時頃から各々の面で同時に攻撃始まりイギリス軍攻撃前進開始したが、カンバーランド作戦最初まったく上手くいかないように見えた。まず、ヴァルデック侯の指揮するフォントノワへの攻撃オランダ軍主力でもって行われたが、フォントノワからの強力な砲撃によって大損害を被って頓挫しハノーファー軍の一部加わった2度目攻撃同様に失敗した連合軍は砲を集中して運用することをしなかったので、ヴァルデックの手持ち砲兵だけでは防御工事施されたフォントノワに有効な打撃与えられず、フォントノワからのフランス軍砲撃会戦通じて常に活発であり続けた次に連合軍左翼では、フォントノワ攻撃に加わらなかった残りオランダ軍部隊によりフォントノワ以西フランス軍対す牽制攻撃試みられたが、ここでもフランス軍強力な砲撃受けて早々に後退し役目果たせなかった。 一方フォントノワ以北では、敵戦列への攻撃前進期してイギリス軍歩兵戦列がフランス軍接近していた。この時カンバーランドは、このまま前進するバリーやその向こうウー堡塁から側面攻撃されることになると気付いた。そこでカンバーランドはインゴールズビィに、本隊前進先駆けてバリー入りの中を進んでウー堡塁攻略せよと命じた。しかしインゴールズビィの旅団接近すると、潜んでいたフランス軍軽歩兵部隊待ち伏せ攻撃受けて追い返された。インゴールズビィはカンバーランドに砲を要求しに対して砲撃行ったフランス兵の淵から後退したのでインゴールズビィはもう一度中に入ろうとしたが、またも攻撃受けてやはり追い返された。 結局イギリス軍は右にも左にも敵の有力な拠点残したまま攻撃踏み切ることになった一方サックスも、カンバーランド自分狙い通り攻めてきたにも関わらず戦況楽観視してはいなかった。オランダ軍撃退して配下将校がさっそく祝辞述べた時、サックスは、まずイギリス軍戦わないことには何も言えない、彼らは簡単に下せいだろう答えた。そしてこのときサックス病気重く駕籠馬車乗って指揮を執っていたが、体の無理を押して騎乗しカンバーランド待ち構えた

※この「連合軍の攻撃」の解説は、「フォントノワの戦い (1745年)」の解説の一部です。
「連合軍の攻撃」を含む「フォントノワの戦い (1745年)」の記事については、「フォントノワの戦い (1745年)」の概要を参照ください。

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