連合軍の状況判断
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 04:01 UTC 版)
ドイツ軍侵攻の報告が司令部に届いたとき、アイゼンハワーは部下の当番兵と婦人陸軍部隊の女性兵士との結婚式に出席していた。この時点でアイゼンハワーは事態が深刻とは考えておらず、結婚式を最後まで楽しんだ後、婦人陸軍部隊が主催したアイゼンハワーの元帥昇進パーティにも出席している。その夜には第12軍集団司令官のブラッドレーとディナーの席で作戦協議をしているが、主な議題はドイツ軍の侵攻に対するものではなく、アメリカ本国に太平洋戦線よりもヨーロッパ戦線を優先させるよういかに説得するかというものであった。太平洋戦線ではアイゼンハワーの元上官であったダグラス・マッカーサー元帥がフィリピンに進攻していたが、政治力を駆使して大量の兵士を確保していた。そのため「まずはドイツを叩く」といった連合軍の基本方針は有名無実化されて、ヨーロッパ戦線への補充は減らされる一方となっており、アイゼンハワーたちにとって憂慮すべき事態となっていた。 協議がドイツ軍の侵攻に移ると、ブラッドレーは「パットン率いる第3軍の進撃をけん制する目的」と限定的な攻撃であるとし特段の対応は必要ないと主張したが、アイゼンハワーは「ドイツ軍は敗北を認めるまえに総力をあげて一大攻勢にでてくる」と以前から考えており、もっと面倒なことになりそうとして、前線から離れたところで休養中であった第7機甲師団(英語版)と第10機甲師団(英語版)を増援として投入することを指示した。しかし、事態の深刻さには気づいておらず、2人はディナーが終わるとコントラクトブリッジで楽しんでいる。 翌12月17日には詳細な情報が寄せられ、司令部はパニックに陥った。アイゼンハワーと司令部の幕僚たちは、集まった情報でドイツ側の企画を探ろうとしたが、ドイツ軍の主目標を特定することができず、主力がどこかも判断できなかった。第1軍との通信は既に途絶しており、ブラッドレーは自分の判断ミスを認め、作戦地図を見ながら「あのクソ野郎どもはこんな余力をどこに隠していやがった」と感情的に呟いた。パイパー戦闘団の急進撃も連合軍司令部の判断を迷わせ、「主攻も助攻もなく全ドイツ軍がいっせいに西進しているのでは?」という極端な意見も出るほどだった。しかし、アイゼンハワーの決断は早く、連合軍最高司令部の予備戦力であった第18空挺軍団から、マーケット・ガーデン作戦のあと休養中であった第82空挺師団と第101空挺師団を増援として投入することを決定し、交通の要衝であるバストーニュの防衛に向かわせた。軍司令のマシュー・リッジウェイ中将はイギリスにいたが、命令を受けるとすぐに幕僚を招集して空路でドーバー海峡を渡り、出発済みの両師団を追ってバストーニュに向かった。これらのアメリカ軍司令部の動きはヒトラーやドイツ軍最高統帥部にとって全くの予想外で、寄合所帯の連合軍には各国間の調整が必要で迅速な対応ができず、アメリカ軍単体でも指揮系統を無視した臨機応変な対応はできないと分析しており、こうも早く防衛体制を立て直せるとは考えていなかった。そしてこれらの増援部隊は各戦場で決定的な役割を果たすこととなる。
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