連合軍の行動
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1942年(昭和17年)2月27-28日のスラバヤ沖海戦(昼戦、夜戦)でドールマン少将ひきいる連合軍艦隊は、ドールマン少将の戦死と軽巡デ・ロイテル、ジャワと駆逐艦数隻の喪失により、統制を失った。残存艦隊のうち、アメリカ海軍の重巡洋艦ヒューストンとオーストラリア海軍の軽巡洋艦パースはスラバヤ沖海戦で戦死したドールマン少将の最期の命令により先任のパース艦長ヘクター・ウォーラー大佐の指揮下でジャワ島のバタビア(現ジャカルタ)に撤退し、2月28日朝、バタビアに到着した。しかし、バタビアは最早連合軍にとって安全な場所ではなく、戦力の再編成を行うためにABDA司令部よりスンダ海峡経由でジャワ島南岸のチラチャップへ移動する命令が下された。 2月28日夕刻、寄港から僅か半日でヒューストンとパースの2隻が出港した。オランダ海軍の駆逐艦エヴェルトセン(戦史叢書ではエバステン、またはエヴェルツェンと表記)が護衛するはずであったが出撃準備が間に合わず、後から続くこととされた。しかし、遅れて出港したエヴェルトセンは先行部隊が交戦しているのを目撃し、圧倒的な日本艦隊との接触を避けて海峡を通過しようとした。その後、先行部隊が壊滅した約1時間半後に日本軍駆逐艦(白雲、叢雲)に捕捉されて大破し、サブク島の海岸に擱坐して失われた(詳細後述)。
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