作戦の結果と影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 10:29 UTC 版)
「グラティテュード作戦」の記事における「作戦の結果と影響」の解説
グラティテュード作戦における日本側の被害は、地域別に区分けすると以下のとおりである。なお、「ラモット・ピケ」と「オクタント」は計算に入れていない。 1月12日:特設艦船および輸送船35隻135,680トン沈没(大破、擱座含む)、艦艇14隻沈没、航空機100機以上 1月15日および16日:特設艦船および輸送船7隻39,105トン沈没(大破、擱座含む)、艦艇4隻沈没、航空機47機(推定) 1月21日および22日:特設艦船および輸送船12隻66,177トン沈没(大破、擱座含む)、航空機60機以上 総計すると、特設艦船および輸送船は54隻240,962トンが沈没し、艦艇は軽巡洋艦1隻を含む18隻が沈没。航空機は明確な数字がつかみにくいが最低でも約207機が破壊されたということになる。歴史家サミュエル・E・モリソンはインドシナ水域で「44隻132,700トン」の艦船を撃沈し、1月中には「約30万トン」の艦船を撃沈して「500機」もの日本機を破壊しつくしたとする。光人社刊行の『写真・太平洋戦争(4)』では、作戦全体の日本側被害について「艦艇11隻、船舶48隻(221,179総トン)」という数字を挙げている。 第38任務部隊の被害のうち、艦艇に関しては戦闘で「タイコンデロガ」、「ラングレー」、「マドックス」が、荒天その他事故で「ハンコック」、「ネヘンタ・ベイ」、「ナンタハラ」が損傷したにとどまったが、「1月中」に艦載機201機とパイロット167名が失われ、これに「タイコンデロガ」での人的被害237名を加算すると1月中に404名が戦死または負傷したことになるが、「マイクI作戦」での損害を合算していると推定するなら、上述のように艦艇6隻損傷、香港攻撃における艦載機22機、事故死15名、「タイコンデロガ」の戦死と負傷237名が確定した被害となる。その他、「エンタープライズ」が1月16日の攻撃で5機を失ったほか、1月21日と22日の攻撃で3機が失われ、9名が行方知れずとなっている。 グラティテュード作戦においてアメリカ艦隊がわが物顔で南シナ海を遊弋したことは日本側に多大な衝撃を与え、制空権および制海権がアメリカ側に渡ったことは火を見るより明らかであった。作戦以降、日本側はヒ船団の最盛期のような大船団方式を取りやめ、分散的に小船団を小出しに送り出す方式に切り替えることとなり、第38任務部隊がルソン海峡を東航したのと同じ1月20日に「燃料竝ニ重要物資緊急還送作戦實施ニ關スル陸海軍中央協定」を定め、輸送船団による「南号作戦」、ハルゼーが意地でも撃沈したかった「伊勢」、「日向」などによる「北号作戦」が発動されるにいたった。 アメリカ側から見ても、グラティテュード作戦は十分に意義ある作戦であった。ハルゼーは作戦を回想して「オランダ領東インドなどは日本の外側防衛線からはもはや外れ、そこからの産物は途中で失われて日本には届かなくなっている」といった趣旨の発言をし、一連の攻撃はマッカーサーのマニラ帰還に対する援護射撃としても十分なものであった。モリソンは「大胆かつ見事に運用された作戦で、どこへでも戦力を展開できる高速空母群の能力と、洋上での役務部隊から補給を受ける技量を示した点で特筆すべきもの」と評価した。評論家の森本忠夫は、第38任務部隊の行動を含めて「戦局を主動した連合軍の行動こそ、三面六臂の阿修羅のごとき縦横無尽の働き振りと言ってよかった」と論じている。第38任務部隊という「阿修羅」は、「補給ルートの完全途絶」という止め前の致命的なダメージを日本側に与えたのである。 第38任務部隊は、ウルシー帰投後にレイモンド・スプルーアンス大将の第5艦隊に継承され、しばしの休息と補給ののち、2月からはマーク・ミッチャー中将の下で「第58任務部隊」として、新たな戦場である硫黄島と関東平野の制圧にまい進することとなる。
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