連合軍の損害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 14:48 UTC 版)
オマハビーチ上陸はアメリカ軍に大損害を与えた。アメリカ第1歩兵師団の公式記録では「上陸用舟艇のタラップがおりた瞬間、先導の中隊は活動不能、指揮官不在、任務遂行不能となった。指揮をとる全ての士官と下士官はほぼ死亡もしくは負傷した。部隊は、生存と救出のためもがいていた。」第5軍団の4万人の兵士が負傷、3千人が死亡した。ほとんどが最初の数時間で失われた。 犠牲者は広く分布、最初の攻撃部隊は酷く損害を受けた。攻撃が干潮時に行われたので、ドイツ軍により配置された海底障害物は水面上に現れており上陸用舟艇はそれを回避可能で、その為攻撃部隊の殆どは海岸に到着できた。またドイツ軍の要塞拠点の正面に配置された地雷の付いた杭 (minedsticks) は完全除去された。が、上陸用舟艇のタラップが降りた瞬間、その狭い開口部は搭乗員を敵のMG42の集中砲火に晒した。ドイツ軍の射線に上陸しようとした部隊は惨憺たる被害を被ったが、逆に銃砲陣地の狭間や、煙幕が展開されたポイントに上陸した部隊は幸運にも殆ど損害無く海岸に拠点を確立できた。上陸用舟艇の操舵手の技量と勇気にも生死が左右された。一部の上陸用舟艇は、海岸から数十ヤードも手前で砂州に当り、兵士は武器と共にそこで下船せざるを得ず、波で溺れたり、深い礁をゆっくりと上陸する間に敵の火器に晒された。 しかし、これらは過大な損害報告であり、戦闘後に明らかになった2,000人の死傷者と行方不明者の人的損失は、最高司令部が想定していた犠牲者を遥かに下回っていた。なぜこのような誤認が起こったのか、アメリカ陸軍の公式戦記筆者フォレスト・C・ボーグ博士が兵士らに聞き取りを行ったところ、兵士らは一様に「自分以外のものはみんな殺されるか、捕虜になった」と思い込んでいたとのことで、ボーグはこの兵士らからの聞き取りによって「戦争につきものの“フォグ・オブ・ウォー(不確実性)”が犠牲者の推計値をこうも大仰なものにした要因となった」と結論づけた。そして犠牲者数で唯一確実なのは、上陸前の24時間で死んだフランス民間人の死者がアメリカ軍の死者の2倍以上となる3,000人に達したことであるとも述べた。
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