連合軍の強襲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 01:59 UTC 版)
4月28日から30日にかけて、挺進隊は三つの部隊に別れてミイトキーナを目指し出発した。5月5日、リトポングに展開していた第2大隊とK部隊が遭遇し交戦。一方H部隊・M部隊の進路も同様に日本軍小部隊との遭遇や、駄馬の半数を失うほどの険しい山越えで苛烈を極め、到着予定日は大幅に遅れてしまった。H部隊はアラングの日本兵を撃破し、16日、ミイトキーナ北西方のナムクイ付近に到着した。翌17日10時に第150団が飛行場に突入。一方の守備隊は第15飛行場大隊に所属する約100名が警備していたに過ぎず、飛行場は間もなく占領された。 飛行場にはドラム缶が多数転がっていたものの滑走路は支障なく、挺進隊は着陸可能と判断、除去後コールサインである“Merchant of Venice(ヴェニスの商人)”を発信し、それを合図に増援部隊600人を載せたグライダーを曳航する第10、第14航空隊の輸送機二十数機が飛来、16時30分よりウェイコ CG-4A(英語版)グライダーを次々と飛行場に着陸させた。 以降も部隊の空輸は続き、それぞれ市街地周辺に陣地を展開した。だが、点を制圧したにすぎず、守備隊はまだ完全に囲まれたわけではなかった。丸山部隊はミイトキーナ市街に立て篭もって抵抗を続けると同時に、連合軍の隙間を縫って人員と物資の補給を確保した。モール付近で敵空挺部隊の掃討にあたっていた第三大隊とフーコン戦線に応援に来ていた第56師団の水淵大隊を加えて2000人程度の兵力となった。また19日夜には、列車での弾薬補給を強行。これは25日まで行われた。
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