連合軍の反攻計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/30 23:32 UTC 版)
ナルヴィク、トロンヘイム、オスロ、ベルゲンなどノルウェーの主要地域は奇襲により、攻撃作戦開始初日に制圧され、ノルウェー軍はオスロ北方でドイツ軍を戦っていた。イギリス、フランスの首相及び軍事顧問は、ノルウェー軍と接続を行いドイツ軍が北へ進撃するのを阻止するためにトロンヘイムを取り戻すことを決定する際、同意見であった。これが成功すれば、連合軍はドイツの鉄鉱石の輸入の多くを阻止することが可能になり、さらにノルウェー北部の空軍及び海軍基地を得ることとなるはずであった。 引退した海軍元帥で国会議員を務めるロジャー・キース卿(en)はチャーチルに繰り返し、必要に応じて旧式戦艦を繰り出してドイツ軍からトロンヘイムを奪い返すことを訴え、攻撃作戦の司令官を務めると申し出た。 計画では、最近、ドイツ軍によって占領された海岸砲を旧式戦艦が撃破してトロンヘイムフィヨルドへ侵入、そこで陸海空軍共同の上陸を行い、都市を奪取することになっていた。そして都市で挟撃作戦を行うため、フィヨルド南北で上陸を行うことも決定された。これらの決定に対して、参謀長であるダドリー・パウンド第一海軍卿、陸軍はエドムンド・アイアンサイド卿、空軍はシリル・ニューウェル卿(en)らが責任を負うこととなった。 しかしイギリス軍参謀長が怖気づいたため、狭い箇所への上陸は単なるデモストレーションと化した。これにより、イギリス空軍はトロンヘイムを利用することができなくなることを意味しており、同様に陸軍部隊がドイツ空軍、ドイツ海軍の部隊と戦わなければならないことを意味していた。チャーチルはこの作戦に非常に失望したが、陸軍、空軍の上層部、海軍アドバイザーらが合同して反対することに直面した。このため、チャーチルは引き下がらなければならなくなった。後にキースは卒中を発症、この発症は何よりもノルウェーでの作戦を終わらせるよう政府を攻撃していた連中に参加することとなった。 ナムソス(当時3,615名の住人がいた)はその位置と施設から、北側の攻撃を担当する部隊を上陸させるのに理論的に良い位置であると考えられた。ナムソスへのアプローチと港は一年中、凍ることがなく、材木取引のために1940年までにナムソスの港は320から770フィート幅で18から30フィートの深さを持ち、3つの良い波止場(ひとつは石でできていた)が備わっていた。これらの条件はより小さな軍艦が輸送を行いつつもトロンヘイム奪還のために部隊と物資を上陸させるには適当なものであった。その上、ナムソスはノルトラント鉄道線の支線上に存在しており、さらに砂利道が約40マイル南方のトロンヘイムへつながっていた。
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