連合軍の失敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 17:50 UTC 版)
ドワイト・D・アイゼンハワーは連合軍部隊の再編成を行い、第18軍集団(司令官サー・ハロルド・アレクサンダー)を編成した。そして部隊に関連するアメリカ、イギリス、フランスの各部隊をまとめ、彼等が連携できるよう改善した。 アメリカ陸軍にとってもっとも重要なこととして、第II軍団指揮官ロイド・フリーデンダールはアイゼンハワーによって罷免され、戦争の残りの期間を再教育されることとなった。しかし任務に失敗した司令官を更迭、再教育を行うという方針はアメリカ軍の士気、評判を高めることとはならなかった。フリーデンダールが北アフリカで失敗した原因となったアメリカ陸軍の方針は、有能な指揮官を探すよりも、失敗した指揮官に既存の訓練計画の根本的改善を行い、これを再教育する困難な任務を負うこととなった。 アイゼンハワーはオマール・ブラッドリー少将ら他を通してフリーデンダールの部下がフリーデンダールを信頼していなかったことを確認した。イギリスのアレクサンダーはアメリカの指揮官にこう話した。「私はアメリカ軍に有能な将軍が必要だと確信している」と。 非難がフリーデンダールに集中する間、アメリカ、イギリス、フランス全体の指揮官アンダーソンは連合軍装甲部隊を集中して統合させることを怠ったこと、ハーモン、ウォード、アレクサンダーらに支離滅裂な命令を行い、部隊の小刻みな投入を行ったことという部分的責任を負うこととなった。また、フリーデンダールが装備の貧弱ながらもファイドで戦った自由フランス第XIX軍団の全ての責任を負うということではなく、ファイドで攻撃を受けた時、フランス軍が支援を要請した時、これを拒んだが、アンダーソンは要求が実現できないことを認めていた。さらに、アンダーソンもアメリカ第1機甲師団師団長オーランド・ワード(Orlando Ward)の反対にも関わらず、第1機甲師団より3個戦闘コマンドを呼び寄せたことにより、その戦力を分散させたことを批判された。
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