日本軍の増援とは? わかりやすく解説

日本軍の増援

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 04:12 UTC 版)

ポートモレスビー作戦」の記事における「日本軍の増援」の解説

ソロモン諸島および東部ニューギニア方面これまで第17軍管轄していたが、この方面の戦況の悪化受けて大本営11月16日、、第8方面軍司令官今村均中将)を新設し第17軍第8方面軍の下でソロモン諸島専念させることにした。そして第8方面軍の下にニューギニア方面担当する第18軍司令官安達二十三中将)を新設した。最初増援第17軍参謀長宮崎周一少将指揮により駆逐艦5隻(夕雲風雲巻雲陽炎親潮)で行われた歩兵144連隊後任連隊長山本重省大佐指揮歩兵144連隊補充員及び山砲兵1個中隊と第38師団歩兵229連隊第3大隊編成された約1,500人は11月18日無事パサブアに上陸しブナ向い21日には約800人の南海支隊補充員がパサブアに上陸した22日には独立混成21旅団の2個大隊ラバウル到着した。 そして11月26日第8方面軍統帥発動がされ、その後第18軍指揮により駆逐艦輸送が行われた。最初増援11月28日駆逐艦4隻(夕雲巻雲風雲白露)による陸兵輸送作戦実施するが、29日昼間ダンピール海峡B-17空襲を受ける。白露大破巻雲至近弾で損傷輸送作戦中止された。翌月12月2日には駆逐艦4隻(朝潮荒潮磯波、電)がバサブア泊地まで進入したものの空襲を受け移動し山県栗花生少将独立混成21旅団のうちの425人(輸送兵力の約半数)のみが北西クシム河口付近上陸した。だが、この際にも空襲で、揚陸した食料などの資材全損する被害受けた増援難航しクシム河口付近上陸しバサブアに向かった山県少将指揮独立混成21旅団も、遭遇したオーストラリア軍敗退しバサブアに着けなかった。12月8日にはバサブア(ゴナ)の日本軍陣地オーストラリア軍25旅団攻撃占領された。臨時道路構築隊長山本恒一少佐下の人夫や高砂義勇隊など非戦闘員中心のバサブア地区隊約500人は全滅した12月8日早朝第10駆逐隊司令阿部俊雄大佐指揮下の駆逐艦6隻(風雲夕雲朝潮荒潮磯波、電)はブナ輸送実施するためラバウル出撃する。8時15分飛来したB-24(1機)を味方機と誤認した朝潮」は、空襲を受け艦尾至近弾となり、二番三番砲塔損傷中破した。軽巡天龍」が救援に向かう中、外南洋部隊第八艦隊)の下令従い輸送駆逐隊反転した帰途、「磯波」も至近弾で小破した。 12月11日夜、駆逐艦5隻(風雲夕雲荒潮磯波、電)はブナ輸送のためラバウル出撃14日ブナ揚陸成功したが、空襲で「荒潮」は数名死傷者出した。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}同日夜、輸送隊ラバウル戻った[要出典]。 12月9日のバサブア守備隊全滅後、南海支隊後任支隊長小田健作陸軍少将独立混成21旅団司令部要員を含む約870人が、12月14日ブナ地区から90キロほど北西のマンバレー川河口付近の上陸に成功した。ただ制空権をアメリカ・オーストラリア軍が握っていたため、マンバレーからブナ地区への大発動艇による移動は困難を極めた小田少将20日にようやくギルワに着き堀井少将亡き後支隊代理として指揮していた独立工兵15連隊長横山与助大佐から南海支隊指揮引き継いだ

※この「日本軍の増援」の解説は、「ポートモレスビー作戦」の解説の一部です。
「日本軍の増援」を含む「ポートモレスビー作戦」の記事については、「ポートモレスビー作戦」の概要を参照ください。

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