日本軍の増援
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「ポートモレスビー作戦」の記事における「日本軍の増援」の解説
ソロモン諸島および東部ニューギニア方面はこれまで第17軍が管轄していたが、この方面の戦況の悪化を受けて、大本営は11月16日、、第8方面軍(司令官:今村均中将)を新設し、第17軍は第8方面軍の下でソロモン諸島に専念させることにした。そして第8方面軍の下にニューギニア方面を担当する第18軍(司令官:安達二十三中将)を新設した。最初の増援は第17軍参謀長宮崎周一少将の指揮により駆逐艦5隻(夕雲、風雲、巻雲、陽炎、親潮)で行われた。歩兵第144連隊後任連隊長山本重省大佐指揮の歩兵第144連隊補充員及び山砲兵1個中隊と第38師団の歩兵第229連隊第3大隊で編成された約1,500人は11月18日無事パサブアに上陸しブナに向い、21日には約800人の南海支隊補充員がパサブアに上陸した。22日には独立混成第21旅団の2個大隊がラバウルに到着した。 そして11月26日に第8方面軍の統帥発動がされ、その後は第18軍の指揮により駆逐艦輸送が行われた。最初の増援は11月28日に駆逐艦4隻(夕雲、巻雲、風雲、白露)による陸兵輸送作戦を実施するが、29日昼間にダンピール海峡でB-17の空襲を受ける。白露が大破、巻雲も至近弾で損傷、輸送作戦は中止された。翌月の12月2日には駆逐艦4隻(朝潮、荒潮、磯波、電)がバサブア泊地まで進入したものの空襲を受け移動し、山県栗花生少将と独立混成第21旅団のうちの425人(輸送兵力の約半数)のみが北西のクシム川河口付近に上陸した。だが、この際にも空襲で、揚陸した食料などの資材を全損する被害を受けた。 増援が難航し、クシム川河口付近に上陸しバサブアに向かった山県少将指揮の独立混成第21旅団も、遭遇したオーストラリア軍に敗退しバサブアに着けなかった。12月8日にはバサブア(ゴナ)の日本軍陣地はオーストラリア軍第25旅団の攻撃で占領された。臨時道路構築隊長山本恒一少佐以下の人夫や高砂義勇隊など非戦闘員中心のバサブア地区隊約500人は全滅した。 12月8日早朝、第10駆逐隊司令阿部俊雄大佐指揮下の駆逐艦6隻(風雲、夕雲、朝潮、荒潮、磯波、電)はブナ輸送を実施するためラバウルを出撃する。8時15分、飛来したB-24(1機)を味方機と誤認した「朝潮」は、空襲を受け艦尾に至近弾となり、二番・三番砲塔損傷。中破した。軽巡「天龍」が救援に向かう中、外南洋部隊(第八艦隊)の下令に従い輸送駆逐隊は反転した。帰途、「磯波」も至近弾で小破した。 12月11日夜、駆逐艦5隻(風雲、夕雲、荒潮、磯波、電)はブナ輸送のためラバウルを出撃、14日のブナ揚陸は成功したが、空襲で「荒潮」は数名の死傷者を出した。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}同日夜、輸送隊はラバウルへ戻った[要出典]。 12月9日のバサブア守備隊全滅後、南海支隊後任支隊長小田健作陸軍少将と独立混成第21旅団司令部要員を含む約870人が、12月14日にブナ地区から90キロほど北西のマンバレー川河口付近への上陸に成功した。ただ制空権をアメリカ・オーストラリア軍が握っていたため、マンバレーからブナ地区への大発動艇による移動は困難を極めた。小田少将は20日にようやくギルワに着き、堀井少将亡き後支隊長代理として指揮していた独立工兵第15連隊長横山与助大佐から南海支隊の指揮を引き継いだ。
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