日本軍の回光通信機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 03:25 UTC 版)
日本で最初に採用された回光通信機は、1880年(明治13年)、旧帝国陸軍において軍用電信隊が創設されたときのもので、ヘリオグラフ式のものである。夜間や雨天の運用難のため、1887年(明治20年)、軍用電信隊が解散されるとともに廃止された。 1889年(明治22年)、フランスの工兵将校マンゼンの創意によるガラス式および鏡式の通信機が購入され、一時、工兵隊その他に備付されたことがある。これは日光に加え、灯油ランプを光源とするもので、夜間、雨天でも使用することができたが、これにも不便な点があって、1902年(明治35年)ころまでに廃止された。 日露戦争で回光通信機の重要性が認められ、1907年(明治40年)から、国産品の製造や外国製機の購入などの研究が行われた。そして、1913年(大正2年)から1922年(大正11年)にわたって、10cm、20cm、30cm回光通信機が採用された。いずれも光源は日光およびアセチレンランプである。 その後、光源に電球を使用したものも開発された。
※この「日本軍の回光通信機」の解説は、「回光通信機」の解説の一部です。
「日本軍の回光通信機」を含む「回光通信機」の記事については、「回光通信機」の概要を参照ください。
- 日本軍の回光通信機のページへのリンク