日本軍の南部仏印進駐とは? わかりやすく解説

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日本軍の南部仏印進駐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:49 UTC 版)

第二次世界大戦」の記事における「日本軍の南部仏印進駐」の解説

1941年6月25日大本営政府連絡懇談会で「南方施策促進に関する件」が策定され南進論)、フランス同意の下で南部仏印への進駐決まった一方7月に対ソ連戦争北進論準備行動として関東軍特種演習発動した。その中で仏領インドシナ日本とられることを危惧したアメリカは、日本対す石油輸出許可制を敷くことで日本揺さぶった。 この措置対向するため、日本石油などの資源買い付け交渉を、本国ドイツ軍占領下置かれロンドン置かれ亡命政府の下にあるオランダ領東インド行っている。一時交渉成立したが、その後アメリカ圧力により、オランダ植民地政府側が供給する量は日本求めた量の1/4に留められ、日本6月交渉打ち切った。このせいで当時日本ではオクタン価航空機用燃料貯蔵量が底を尽きかけた。 さらに7月25日アメリカ在米日本資産凍結し日米間の航路遮断同日日本フランス同意の下での南部仏印進駐アメリカ通告したアメリカ石油輸出全面禁止ほのめかしたが、7月28日予定通り南部仏印進駐が行われた。しかし当時仏印では現在のベトナムとは違い油田は見つかっておらず、石油掘れなかった。

※この「日本軍の南部仏印進駐」の解説は、「第二次世界大戦」の解説の一部です。
「日本軍の南部仏印進駐」を含む「第二次世界大戦」の記事については、「第二次世界大戦」の概要を参照ください。

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