日本の南部仏印進駐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 13:58 UTC 版)
7月19日、豊田外相はヴィシー政府に南部仏印進駐に関する最後的な通牒を送り、22日に話し合いが成立、25日には日本軍は海南島三亜を出港し、28日から南部仏印への上陸を開始した。 日本の南部仏印進駐の措置について、アメリカはマジック情報などにより事前に把握しており、23日、サムナー・ウェルズ国務次官は日米交渉の中止を野村大使に告げた。さらにアメリカは24日の新聞発表で、日本の南進について、「我が国の安全保障に重大なる問題を及ぼすものと深く認識する」との声明を出した。日本軍の中国駐兵については安全保障に関する問題と見なしていなかったアメリカも、日本軍の南部仏印進駐については、これを東南アジア侵攻への最初の一歩と受け取ったのであった。 「彼らは公然たる非友好的な行為を修飾するために、平和と友好という嘘と詐欺的な言葉を使うのである。これは彼らが前進の準備ができるまでそうするのである。…日本の侵略は力以外では阻止できない。問題はいかに長く、ヨーロッパの軍事問題が終結するまで、我々が事態を策でもって動かしうるかにある」 — ハル
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