日本の占領と朝鮮戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 10:20 UTC 版)
「第7騎兵連隊 (アメリカ軍)」の記事における「日本の占領と朝鮮戦争」の解説
連隊が日本に駐在している折、偶然にもかつて連隊を率いていたカスター将軍の孫甥(grand-nephew)に当たるブライス・C・W・カスター中佐(Brice C. W. Custer)が配属されている。 朝鮮戦争が始まると、連隊は朝鮮半島へと派遣され、釜山橋頭堡の戦いなど激戦として知られる多くの戦いに参加した。第1騎兵師団が北部へ進行した際も第7連隊は常に先陣を切り、24時間以内に敵の前線を超えて106マイルの前進を達成した。これによって3つの大統領殊勲部隊章を受章している。 1950年7月26日から29日にかけて、老斤里事件として知られる虐殺事件が発生する。ソウルから100マイル南東に位置する老斤里という集落の鉄道橋付近で、第7連隊第2大隊所属の部隊が韓国人の難民を殺害したのである。この事件は北朝鮮の兵士が民間人に紛れ込んでいることに対する恐れから発生したとされている。2005年に韓国政府が行なった調査では、氏名が明らかになっているだけでも死亡・行方不明者(主に女性、子供、老人)163人と負傷者55人を認定し、さらに氏名が特定されていない被害者も数多く存在すると報告された。生存者の証言から、この事件の中でおおむね400人程度が殺害されたと推測されている。1999年にAP通信が初めて事件について報道し、かつて第7連隊に所属した退役軍人も韓国人生存者の証言を裏付ける証言を行なった。 1949年3月25日、組織の再編成と装備更新が行われた。また、この際に中隊も改めて編成されている。
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