日本の占領と第二次世界大戦(1941年-1945年)
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詳細は「フィリピンの戦い (1941-1942年)」、「日本占領時期のフィリピン」、および「フィリピン第二共和国」を参照 「第二次世界大戦中のフィリピンの軍事史(英語版)」も参照 1941年12月7日の日本の真珠湾攻撃の数時間後、12月8日に数都市とアメリカ合衆国の軍事基地で空襲を開始し、12月10日、最初の日本軍が北部ルソンに上陸した。第6追撃飛行大隊の3人のP-26「豆鉄砲」戦隊の戦いを指揮したフィリピンの操縦士ヘスス・A・ビリャモル(英語版)大尉は、それぞれ27基の2つの敵編隊を攻撃し優秀な日本の零式艦上戦闘機を撃墜することでアメリカ合衆国の殊勲十字章を授与されて勇名を馳せた。セサル・バサ(英語版)中尉とヘロニモ・アクラン(英語版)中尉が操縦するこの戦いにおける別の2機は、撃墜された。 日本軍が優勢であったので、マニラは破壊を避ける無防備都市宣言を行い、その間に政府はコレヒドール島に移動した。1942年3月、マッカーサー将軍とケソン大統領は、フィリピンから脱出した。ゲリラ部隊が可能な限り日本を苦しめ、日本が決して島の広大な部分を支配できないルソンでは現地の抵抗組織は十分に強かった。 アメリカ合衆国極東軍(USAFFE)司令官ダグラス・マッカーサー将軍は、バターンに撤退せざるを得なかった。マニラは1942年1月2日に日本に占領された。バターンの陥落は、マニラ湾の湾口でコレヒドール島と共に1942年4月9日で、5月6日に降伏した。バターン死の行進やマニラ大虐殺などの残虐行為や戦争犯罪がこの戦争中に行われた。 この時までにフィリピン・コモンウェルス政府は、ルーズベルト大統領の招待を受けてワシントンD.C.に亡命していたが(英語版)、多くの政治家は残り、占領する日本に協力した。フィリピン・コモンウェルス軍(英語版)はゲリラ戦で日本と戦い続け、アメリカ合衆国軍の予備部隊とみなされた。フィリピン防衛勲章(英語版)や独立勲章(英語版)、解放勲章(英語版)のようなフィリピン・コモンウェルス軍事賞がアメリカ合衆国軍とフィリピン軍の双方に贈られた。 ホセ・ラウレルのフィリピン第二共和国が傀儡政権として作られた。1942年から日本のフィリピン占領は、大規模な地下ゲリラ活動により抵抗を受けた(英語版)。中央ルソンで農民により結成された共産主義ゲリラ活動フクバラハップは、戦いの大勢を占めた。フク団としても知られるフクバラハップは、侵略者に抵抗し、日本に協力する人々を罰したが、良く訓練された組織はなく、後にマニラ政府への脅威と見られた。マッカーサーが戻るまでに48州の内僅か12州に限ってゲリラ活動は有効に日本の支配を衰退させていた。 1944年10月、マッカーサーはフィリピン奪還を開始する十分な援軍と物資を集めていて、ケソンの死後に大統領になっていたセルヒオ・オスメニャと上陸した。フィリピン保安部隊(英語版)はコモンウェルス政権の下で解放運動中の1944年10月28日にフィリピン・コモンウェルス軍の下で活動を開始した。 沈没した艦船の総トン数によると史上最大の海戦レイテ沖海戦が連合軍が大日本帝国からフィリピンを開放し始めると起こった。フィリピン群島における戦いは、長く激しい戦いを引き起こし、日本の一部は、1945年9月2日に大日本帝国が正式に降伏した後も戦い続けた。 上陸後にフィリピン軍とアメリカ軍も日本の占領と戦うために設立されたフク団活動を抑圧する措置に着手した。フィリピン軍とアメリカ軍は、地域のフク団政府を排除し、多くの幹部級のフィリピン共産党党員を収監した。この出来事が起きる一方で、依然日本軍との戦闘があり、フク団に対するアメリカとフィリピンの対策の一方で、依然日本と戦うアメリカ兵とフィリピン兵を支援した。 連合軍は1945年に日本を破った。戦争終結までに(正規軍兵士や承認されたゲリラ、一般市民を含む)100万人を超えるフィリピン人が戦時中に死亡したと推計されている。フィリピン高等弁務官の1947年の最終報告は、殆どのココナッツ工場と砂糖工場に大規模な損害を与えたとし、島嶼間海運は全て破壊されるか廃止されていて、コンクリート製高速道路は軍用空港として使われたために破壊され、鉄道は正常には動かず、マニラは80%が破壊され、セブ島は90%が破壊され、サンボアンガは95%が破壊された。
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