加瀬英明による密約があったとする主張
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「真珠湾攻撃陰謀説」の記事における「加瀬英明による密約があったとする主張」の解説
1940年9月3日には米英防衛協定が調印され、アメリカはイギリス領のニューファンドランドと、北大西洋のイギリス空軍、海軍基地を使用することと引き換えに、イギリスに50隻の旧型駆逐艦と、大量の小銃、機関銃、砲、弾薬を貸与した。1940年9月27日、日独伊三国同盟条約が調印されたことを聞いて、ルーズベルト大統領は側近に「これで、日本をわれわれとの戦争に誘いこめる」と語った。1940年10月7日、アメリカ海軍情報部極東課長のアーサー・マッコラムによる、 蔣介石政権に可能な限りの支援を行う 米英が協力して対日禁輸を実施する 蘭印に日本へ石油を輸出させない などの項目からなる。ルーズベルト大統領はただちに承認した[要ページ番号]。 1941年8月9日からルーズベルトとウィンストン・チャーチルはニューファンドランド島の沖合のアルジェンチアで会談を行った。チャーチルは何としてもアメリカをヨーロッパ戦争に参加させ、ナチス・ドイツとの戦争に勝利しなければならなかったのである。チャーチルはルーズベルトに、アメリカがドイツに対して即刻宣戦を布告することを求めたが、ルーズベルトは国内世論の制約があったので、「まだ、それはできない」と答えた。しかし、「あと数カ月は、日本という赤児をあやすつもりだ」としばらく待つよう語って、チャーチルを喜ばせた[要ページ番号]。 1941年2月3日、ルーズベルト大統領は国務省内に、日本と戦って屈服させた後に、日本をどのように処理するかを研究する特別研究部を発足させた。7月18日、日本の南部仏印進駐の10日前、ルーズベルト大統領は、蔣介石政権に爆撃機を供与し、青天白日マークを塗って中華民国空軍機に偽装し、アメリカ義勇兵(フライング・タイガース)に操縦させて中国の航空基地から発進し、東京、横浜、大阪、京都、神戸を爆撃するという、日本本土爆撃作戦計画を承認した[要ページ番号]。
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