日本軍の侵攻と投獄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 11:15 UTC 版)
「ペドロ・アバド・サントス」の記事における「日本軍の侵攻と投獄」の解説
太平洋戦争が勃発すると日本軍が侵攻。1942年1月25日、他の共産党指導者と共にマニラに潜伏中のところを日本の憲兵隊に襲撃され逮捕される。そのままマニラのサンチアゴ要塞に投獄され、2年間を獄中で過ごした。 他方、ペドロが組織化した中部ルソンの小作農民たちは、日本の占領軍と戦うためのゲリラ部隊、フクバラハップ(抗日人民軍)を設立。ペドロの片腕として活躍していたルイス・タルクはフクバラハップの司令官に就任した。 1944年、戦況が悪化する中、獄中で病気にかかっていたペドロは日本軍によって釈放された。日本軍がペドロを釈放した理由として、元来からの反米主義者であるペドロをフクバラハップに接触させ、当面の敵であるアメリカと戦うためフクバラハップに対日協力を求めようとする狙いがあったといわれる。 しかしフクバラハップは抗日の旗を降ろさず、ゲリラ戦を継続。ペドロはそのままフクバラハップの部隊に留まっていたが、病気を悪化させ、終戦を見ることなく1945年1月15日にゲリラ・キャンプで死去した。
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