日本軍の対B-29エースパイロット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 15:04 UTC 版)
「B-29 (航空機)」の記事における「日本軍の対B-29エースパイロット」の解説
対B-29の本土防空戦は陸軍航空隊が中心となって戦ったので、陸軍航空隊に多数の対B-29エース・パイロットが誕生した。特に九州にて双発戦闘機「屠龍」で戦った飛行第4戦隊と、首都圏にて「飛燕」(のちに五式戦闘機)で戦った飛行第244戦隊の所属搭乗員がトップを占めた。しかし、撃墜数の申告は、一般的に敵側の損害記録と突き合わせると過大であることが多く、B-29撃墜戦果報告の合計も実際の損失の合計よりは大きかった。 5機以上のB-29を撃墜した日本陸軍航空隊搭乗員 氏名・階級所属B-29撃墜数備考樫出勇中尉第4戦隊 26機 B-29撃墜数トップ、ノモンハン事件でも7機撃墜 木村定光少尉 †第4戦隊 22機 1945年7月14日戦死 伊藤藤太郎大尉第5戦隊 17機 B-29、20機撃破 白井長雄大尉第244戦隊 11機 F6Fヘルキャット2機撃墜 市川忠一大尉第244戦隊 9機 F6Fヘルキャット1機撃墜 河野涓水大尉 †第70戦隊 9機 1945年2月16日戦死 小川誠少尉第70戦隊 7機 P-51ムスタング2機撃墜 小原伝大尉第244戦隊 6機 F6Fヘルキャット2機撃墜 吉田好雄大尉第70戦隊 6機 根岸延次軍曹第53戦隊 6機 佐々木勇准尉航空審査部 6機 総撃墜数38機 鳥塚守良伍長第53戦隊 6機 西尾半之進准尉第4戦隊 5機 鷲見忠夫准尉第56戦隊 5機 P-51ムスタング1機撃墜 川北明准尉 †第9戦隊 5機 1944年戦死 海軍航空隊についても、夜間戦闘機「月光」に搭乗した第三〇二海軍航空隊所属の遠藤幸男大尉がB-29撃墜破数16機、うち撃墜は8機を記録して「B-29撃墜王」などと呼ばれた。横須賀航空隊所属の黒鳥四朗少尉も一晩で5機を撃墜するなど、合計で6機を撃墜している。 日本陸軍航空隊のB-29への体当たり成功機数 地区所属体当たり機数関東地区第10飛行師団 33機 九州地区第12飛行師団 8機 名古屋地区第11飛行師団 8機 満州第5航空軍 5機 合計 54機 この中には2回もB-29への体当たりを成功させて撃墜し生還した板垣政雄軍曹や中野松美伍長、三式戦闘機「飛燕」の主翼をB-29に尾翼に当てて破壊撃墜しながら、自らは片翼で生還した四宮徹中尉など、B-29を体当たり撃墜しながら生還したケースも含まれている。朝日新聞は1944年12月8日の朝刊でB-29に対する体当たり攻撃を紹介し、中野伍長のインタビューを掲載している。 日本海軍でも、震天制空隊の初出撃に先駆けること3日前の1944年11月21日、第三五二海軍空所属の坂本幹彦中尉が零戦で迎撃戦闘中、長崎県大村市上空でB-29「アシッド・テスト」に体当たりして撃墜、戦死している。その後には組織的な対空特攻がおこなわれたが、日本陸軍と比べると小規模で、第二二一海軍航空隊が1944年12月にルソン島でB-24爆撃機迎撃のために編成した「金鵄隊」と、訓練のみで終わった天雷特別攻撃隊にとどまった。
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