P-51 (航空機)
(P-51ムスタング から転送)
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飛行するP-51D-5-NA 44-13357号機
(第361戦闘航空隊所属、撮影年不詳)
注釈
- ^ ドイツからブラジルを経てアメリカに帰化した人物。独学した航空機技術によりゼネラルモーターズ航空部門のブラジル支社で頭角を現し、アメリカ移民が認められGM傘下のノースアメリカンに職を得ていた。
- ^ 胴体側面の排気痕跡は、あくまで胴体表面の境界層流の影響下で付いたものであって、主翼表面の境界層流の状態(層流か乱流か)を表すものではない事に注意。
- ^ 翼根翼厚 16.5%/翼端 11.5%、最大厚さ位置 翼根 38.9%/翼端 46.3%
- ^ 翼根翼厚 15.5%/翼端 12%、最大厚さ位置 翼根 45%/翼端 45%
- ^ 主翼上面の気流は機体の飛行(急降下)速度よりも速く、真っ先に音速に達して衝撃波失速を起こす。旧来翼型は層流翼型より低速でそれが起きる。
- ^ 流入した空気がダクト内部を通過する際、高温となったエンジン冷却液と接触し空気は膨脹してから排気されるため若干の推力を発生し空気抵抗が相殺される。ノースアメリカン社には効果を検証できる風洞が無かったため理論的な予測しか出来ず、カリフォルニア工科大学のグッゲンハイム航空研究所の協力を得て大型風洞で検証しデータを収集した
- ^ 離陸時にはエンジンスタート後にカバーを畳み、離陸後にカバーを開けて降着装置を格納、再度カバーを畳むという手順を踏むため、他の機体と比べ若干だが引き込みの時間が増えている。また尾輪もダクトの真後ろに出るため発生した推力も抵抗となって相殺される。
- ^ マーリンへの換装を提案したのは、ロンドン駐在のアメリカ武官であったと言われる。堀越二郎は「イギリスとアメリカとの友好関係をもってしても、イギリス人の間からは、本機のよき生まれを発動機によって活かしてみたいという親身の愛情と理解が生まれなかった事実もおもしろい」と評している[14]
- ^ 当時はイギリス向けのマーリンエンジンでさえ不足しており、イギリス側からエンジン換装の申し出がなかったのは当然である。また米国側も戦闘機用のエンジンは将来的にプラット・アンド・ホイットニー R-2800一本に絞る考えであり、改造機の高性能を目の当たりにするまでは、マーリンを採用する意図はなかった。
- ^ 特にスピットファイアは航続距離の短さが問題点のひとつだった。
- ^ 敵味方識別用の塗装。主翼に白黒の縞模様を塗装する
- ^ アメリカの工場では電動工具が普及しているため、リベットを打った後に頭を削った方が短時間となる。零式艦上戦闘機では工程の多い沈頭鋲を採用したため時間がかかっていた。
- ^ フィリピンの戦いで鹵獲した飛行第11戦隊所属機
- ^ 最高速度が出せる高度の違いから、実際には高度7,600mでは最高速度703km/hのP-51が、高度9,145mでは最高速度697km/hのP-47Dが最速となる。
- ^ 本来はオリバー・ストローブリッジ大尉の搭乗機であったが、当日はマクミラン少尉が搭乗し空戦に参加していた。
- ^ マクミラン少尉は不時着後日本兵に取り囲まれ捕虜となり、上海経由で東京、北海道に転送されここで日本の敗戦を迎え、戦後にアメリカ本国に帰還している。[21]
- ^ 試作航空兵器の審査等を行う日本陸軍の組織。輸入機や鹵獲機の飛行研究も担当。
- ^ 理想は失速直前に地上1インチとされている。
- ^ Propeller:AEROPRODUCTS UNIMATIC C.S.、Blade:No.H2D-156-23M5 (×4)、Diameter:11ft 1in (3.38m)、Area:8.96m²
- ^ 搭載可能燃料は機体内燃料タンクに260gal (984ℓ)、落下増槽タンクを165gal (625ℓ) ×2の合計590al (2,233ℓ)
- ^ 航続距離は燃料消費量+5%の補正後に算出されている
- ^ CA-18 Mk.22、A68-192/1517号機。[1]
- ^ 一番奥の機体。手前2つはTF-51D
- ^ キャヴァリエにて改修された後、軍へ復帰した際つけられたコード。
出典
- ^ ボーイング社資料より。
- ^ a b c グリンセル 2000 , p48
- ^ North American P-51D Mustang - 国立アメリカ空軍博物館
- ^ Delve, Ken. The Mustang Story. London: Cassell & Co., 1999. ISBN 1-85409-259-6.
- ^ 『知られざる軍用機開発 下巻』酣燈社、1999年、66頁。
- ^ ジョン・D・アンダーソンJr. 著、織田 剛 訳『空気力学の歴史』京都大学学術出版会、2009年、454頁。
- ^ ジョン・D・アンダーソンJr. 著、織田 剛 訳『空気力学の歴史』京都大学学術出版会、2009年、525,530-532頁。
- ^ ジョン・D・アンダーソンJr. 著、織田 剛 訳『飛行機技術の歴史』京都大学学術出版会、2013年、434頁。
- ^ The P-51 Mustang As an Escort Fighter: Development Beyond Drop Tanks to an Independent Air Force
- ^ グリンセル 2000 , p4-5
- ^ P-51マスタングがレシプロ戦闘機の最高傑作である理由(2/2ページ) - 産経新聞
- ^ 『世界の傑作機 No79 P-51ムスタング,D型以降』文林堂、1999年、106-109頁。
- ^ 『航空ファン別冊 No52 P-51 ムスタング』文林堂、1990年、38頁。
- ^ 「名機マスタングについての考察」 光人社NF文庫『最強兵器入門』堀越二郎
- ^ a b グリンセル 2000 , p24
- ^ a b グリンセル 2000 , p23
- ^ a b グリンセル 2000 , p35
- ^ a b c グリンセル 2000 , p3
- ^ a b c Smith, J. Richard, Eddie J. Creek and Peter Petrick. On Special Missions: The Luftwaffe's Research and Experimental Squadrons 1923–1945 (Air War Classics). Hersham, Surrey, UK: Classic Publications, 2004. ISBN 1-903223-33-4.
- ^ R. J.FRANCILLON"Japanese Aircraft of the Pacific War"(New Edition 1979,London,ISBN 0-370-30251-6)p.236
- ^ a b c 押尾一彦、野原茂『日本軍鹵獲機秘録』光人社、2002年、130頁。ISBN 978-4769810476。
- ^ 鈴木五郎『疾風』第二次世界大戦ブックス64 pp180-181
- ^ 押尾一彦、野原茂『日本軍鹵獲機秘録』光人社、2002年、128-129頁。ISBN 978-4769810476。
- ^ http://www.wwiiaircraftperformance.org/japan/Ki-84-156A.pdf
- ^ グリンセル 2000 , p3
- ^ a b 『本土空襲~日本はこうして焼き尽くされた~』NHK 2017年
- ^ a b c Army Air Forces 編 Pilot Manual for the P-51 Mustang Pursuit Airplane 2015年 ISBN 978-1522724865
- ^ 渡辺, 洋二 (2010), “生産を戦力に結ぶ者”, 空の技術 - 設計・生産・戦場の最前線に立つ, 光人社, ISBN 978-4769826354
- ^ P-51 Mustang Survivors - 現存するP-51を追跡するサイト。シリアルと機体記号を照合できる。
- ^ "Where Dreams Take Flight." Titan Aircraft, 2012. Retrieved: 24 April 2012.
- ^ F-51H Mustang Specifications STANDARD AIRCRAFT CHARACTERISTICS
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