対空特攻とは? わかりやすく解説

対空特攻

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:16 UTC 版)

特別攻撃隊」の記事における「対空特攻」の解説

1944年6月から中国大陸基地とするアメリカ陸軍航空軍B-29が、九州北部中心とする日本本土へ爆撃開始した排気タービン過給機装備し高高度平然と飛行するB-29対す日本軍戦闘機迎撃は困難を極めていた。苦戦する日本軍防空戦闘機が、自発的な体当たり攻撃をすることがあり、1944年8月20日八幡空襲において、迎撃出た飛行第4戦隊二式複座戦闘機屠龍」の搭乗員野辺重夫軍曹後方射手高木伍長は、搭載ホ20337mm機関砲)で、第794爆撃飛行隊の「ガートルードC」号を攻撃する撃墜できなかったため、「ガートルードC」に体当たり攻撃敢行し、激突した両機は空中爆発墜落、またその破片直撃受けた僚機の「カラミティ・スー」号も墜落した体当り成功した野辺高木戦死したが、屠龍1機で2機のB-29撃墜することに成功している。 サイパン島陥落し首都圏へのB-29による空襲懸念が高まると、B-29の必墜を期す戦術求められた。1944年10月首都防空部隊であった10飛行師団師団長心得吉田喜八郎少将幕僚は、武装防弾装備通信アンテナなどを外して軽量化した戦闘機による体当たり攻撃がもっと効果的結論しこれまでのような搭乗員自発的なものではなく組織的な体当たり攻撃隊を編成することとした。吉田隷下部隊対し敵機帝都空襲間近にせまっている。師団初度空襲において体当たり攻撃行い大打撃与えて敵の戦意破砕し、喪失せしめんとする考えである。」と訓示し、体当たり攻撃志願者募った昭和19年11月7日吉田から、隷下1部隊各4機ずつ体当たり機の編成命令発令された。この対空特攻部隊震天制空隊命名された。初出撃同年11月24日サイパン島より東京に初来襲したB-29対するものであった。この戦闘飛行47戦隊所属見田義雄伍長二式複戦「屠龍」体当たり敢行し1機を撃墜し戦死同じく飛行第53戦隊入山伍長突入間際機体空中分解し戦死するなど、特攻機以外の戦闘機含め6機を喪失したのに対しB-29損失は2機であった。(日本軍は5機撃墜、8機撃破主張) 第10飛行師団目論見外れて東京空襲防げなかったことにより、震天制空隊各隊4機から8機に倍増し強力に対空特攻を推進していくこととした。また、この後大都市圏防空任務部隊中心に空対空特攻部隊組織されていくこととなる。

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対空特攻

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特別攻撃隊」の記事における「対空特攻」の解説

アメリカ入手した文書によれば日本軍1939年12月から1942年7月にかけて戦闘機志願パイロットによって空中衝突実験行っている。その結果、敵に衝突することが最も効果的な方法という結論得ている。 日本陸軍航空隊10飛行師団編成された対空特攻隊の震天制空隊で、中心戦力となった飛行47戦隊二式戦闘機鍾馗」は、高高度性能悪かったため、武装防弾鋼板から燃料タンク防弾ゴムに至るまで不要な部品取り除いても、B-29通常の来襲高度と同水準10,500mまでしか上昇できなかった。B-29特攻機を含む日本機の接近を知ると、目標有無かかわらず全ての機銃弾幕張り半径300m機銃弾で覆い包んでしまったという。しかし唯一の死角B-29の前下方で、そこから対進で攻撃するのが理想的であったが、一瞬のうちに接敵するため照準が困難で、特攻失敗する上昇姿勢となるため急速に失速しB-29銃座から恰好目標となってしまうこと、またうまく離脱できても、高高度でのB-29鍾馗速度差から再度攻撃困難だという欠点があったという。 日本海軍でも日本陸軍同様に難敵B-29に対して自発的な空対空特攻が行われている。日本陸軍空対空特攻隊の初出撃先駆けること3日前の昭和19年11月21日第三五二海軍空所属の坂本幹彦中尉零戦迎撃戦闘中、長崎県大村市上空B-29体当たりし撃墜戦死している。その後には組織的な対空特攻がおこなわれたが、日本陸軍比べる小規模で、第二二一海軍航空隊1944年12月ルソン島でB-24爆撃機迎撃のために編成した金鵄隊」と、訓練のみで終わった天雷特別攻撃隊とどまった金鵄隊は250kg爆弾爆装した零戦6機で編成されたが、3度出撃体当り成功しないまま3機未帰還となり、残機対艦特攻任務へと切り替えられた。 大型攻撃機編隊中に突入して爆弾自爆する特攻戦法考案された。天雷特別攻撃隊においては零戦52型に3号爆弾装備しB-29編隊に前から50 - 60度の角度侵入し敵一番機をかわした時に自爆ボタン押し爆弾爆発させる直径250 - 300メートル範囲ダメージ与えられる想定していた。戦闘機にやられず、味方にも被害ないよう誘導機1機と特攻機1機の単機攻撃原則であった312空でも秋水によって同様の自爆特攻予定されていた。 百中百死の対艦特攻異なり、対空特攻ではB-29特攻しても生還できた搭乗員少なからず存在している。2回体当たりして2回とも生き残り遂に沖縄艦船特攻戦死した飛行第244戦隊四之宮中尉や、同じくB-29に2回体当たり敢行して生還した中野松美伍長 のような例もあり、搭乗員落下傘降下もしくは損傷した機体生還できる可能性があったため、対艦船特攻のように100%死を覚悟しなければならないものではなかったが、死亡率極めて高く、やはり特攻であることに変わり無かった。 なお、これらの特攻衆人環視の中で行なわれたものであったため、ラジオ放送では、敵機体当たりしての戦死は名誉の戦死であり、青年特攻隊員志願すべきと呼びかけるなど戦意高揚利用された。また、戦果翌日写真付で新聞紙面を飾ることが少なくなかったが、新聞論説中にはB-29パイロット全員打ち首にすべきであり、撃墜されパラシュート降下したアメリカ軍パイロット見かけ場合は、報告する様に国民よびかけるものまであった。 だが、一部では1機で2機を体当たり撃墜したような戦果もあったものの、全体的に見ると重防御を誇るB-29は、体当たり受けて垂直尾翼切断されながらも生還できた機体あったように、総合的な戦果はあまり芳しくなかったB-29日本本土空襲延べ31,347機が出撃し、494機が任務中に失われたが、(日本本土爆撃において1回攻撃あたりの最大損失率は15.9%、平均1.38%であったと言われる。)その中で、対空特攻により撃墜したB-2962機とも推定されている。しかし、こうした苦心の策を講じても、アメリカ軍による航空特攻を含む日本軍本土防空戦力への評価は『poor貧弱)』であったその後硫黄島占領されB-29がP-51を初めとする優秀な最新鋭戦闘機護衛引き連れてくるようになると、さらに対空特攻は困難となっていった。また、日本本土決戦備えて航空戦力温存図られるうになると、組織的な空対空特攻隊の編成下火となっていった。しかし、そのような状況中でもわずかながら戦果挙げている。

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