防弾鋼板
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 05:08 UTC 版)
防弾鋼板の効力に関しては、1943年10月に第64戦隊に着任以後敗戦まで二型・三型に搭乗し第一線で戦った池田昌弘軍曹(陸軍少年飛行兵11期、総飛行時間1,300時間)による以下の証言がある。池田軍曹の証言では頭部鋼板は8mm厚2枚の計16mm厚となっている。なお、P-38はAN/M2 20mm機関砲1門とAN/M2 12.7mm機関銃4挺を射撃安定性に優れる機首に集中装備した重武装機である。 わたしはP38にやられたとき(昭和19年10月18日)、防弾板で命拾いしました。(中略)で、マウビ飛行場の上で、4機見つけて「こーら、しめた」と思うて、攻撃しようとしたら、後ろからガガーンっと来て、初めて気づいたんですよ。頭の防弾板は8ミリが2枚になってるんです。それが、1枚目は、吹っ飛んでしもうて、2枚目は割れてました。そやから、防弾板は着けとって良かったわ。機付長の少飛8期生が「駄目だぞ!これ外しちゃ」って、「なんなら、もう1枚着けたろか」なんてね。スピードの5キロや、10キロの差を云々するより、着けとった方が皆、生き残ったことと思いますねェ。 — 元陸軍軍曹 池田昌弘 操縦者や所属によっては、少しでも搭乗機の性能を向上させるため重く嵩張る防弾鋼板が意図的に外されることもあった。また、後方警戒をし易くするため頭部鋼板のみ外し、背面鋼板は残されることもあった。上述の第64戦隊池田軍曹は「わたしは防弾鋼板は外さなかった。機付長が、絶対駄目だって外してくれへんのですよ。外してくれいうたことがあるんです。みんな外しますからね。でも1中隊は外さなかった。隅野さんがいた3中隊では、みな張り切って外しとった」、「取っても、そんなに(性能は)変わらんと思うんですけど。まァ、重さにしたらかなり重量(60キロ)あるから……、でも、外したから「そォら、スピード上がった」いうことはなかった思いますけど、気持ちの問題やないですかね」と述べている。
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