捷号作戦前とは? わかりやすく解説

捷号作戦前

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 23:23 UTC 版)

美濃部正」の記事における「捷号作戦前」の解説

1944年7月10日第一航空艦隊第一五三海軍航空隊戦闘901飛行隊長就任美濃部第一航空艦隊司令部のあるダバオ出頭し、かつて美濃部海軍兵学校時代教官であった第一航空艦隊主席参謀猪口力平中佐面談したが、敵が目前まで迫っているにも関わらずその緊張感のなさと、対空警戒能力哨戒能力への関心低さ呆れている。8月美濃部によれば戦闘901飛行隊零戦5機と月光7機が補充されアメリカ軍機動部隊への夜襲目指し夜間哨戒強化したというが、猪口によればこの頃美濃部は、激化していたアメリカ軍のB-24による夜間爆撃対す邀撃任務に熱心であり、猪口第1航空艦隊幕僚に「探照灯で敵を捕捉してさえくれれば一撃のもとに撃墜してみせる」と強気な発言をし、その発言実行するため、毎夜明け方まで自ら月光搭乗して目標となって防空隊探照灯訓練協力していたという。しかし、美濃部意気込みとは裏腹にレーダー設備のないダバオ基地では、夜間戦闘機夜間常時上空待機させ、敵爆撃機予測進入路離脱路に待ち構えさせておき、敵爆撃機来襲したら探照灯支援によって発見して攻撃するといった対応しかできなかったので、戦果は挙がらなかった。美濃部自身も、戦後この頃夜間爆撃対策お粗末であった振り返っている。 その後、B-24は大編隊を組んで昼間堂々と来襲するようになり、1944年9月1日には55機のB-24が来襲した。昼間戦力温存策をとってい美濃部日本軍戦闘機隊は迎撃自重していたので、B-24は海軍高角砲で2機を撃墜されながらも、悠々と爆弾投下してゆき、日本軍は3機の航空機地上撃破され、そのうちの2機が戦闘901月光だった。 一方的に地上月光撃破されて激昂し美濃部は、第153空司令高橋農夫大佐に、夜間戦闘機隊である戦闘901での昼間出撃申し出て、翌9月2日には三号爆弾搭載した月光4機、零戦2機を出撃させた。しかし、美濃部命じた夜間戦闘機隊の昼間出撃は全くの裏目に出て、B-24の護衛についていたP-3820機が上空より夜間戦闘機隊に襲いかかった奇襲受けた月光零戦慌てて三号爆弾投棄すると、B-24の迎撃諦めて離脱しようとしたが、零戦1機がたちまち撃墜され月光1機も被弾して不時着水して機体操縦士失われたそんななかで、中川正一飛曹が操縦する月光は、のなかに突入して一旦P-38追撃をかわすと、空襲終えて帰還しようとしていたP-38の1機を捉えてこれを撃墜した中川個人的な活躍はあったが戦闘としては惨敗であり、全く敵戦闘機護衛想定していなかった美濃部は「これは大変なことになった」と考えて自分から申し出た夜間戦闘機による昼間出撃をたった1回出撃断念せざるを得なくなった殊勲中川は、9月5日夜間防空哨戒中に夜間爆撃来襲したB-24を発見搭載斜銃攻撃しよう接近したところ機銃故障していたので、体当たり対空特攻)を決意しワレ体当りをする覚悟あり」と打電すると、B-24に体当り敢行した。その打電聞いた美濃部は「死なせはいかん」と焦って「何、体当りだ、それはいかん」と電信員に向かって叫んだが、中川機の体当り止めることはできなかった。幸運に中川月光損傷しただけで無事帰還し体当たりされたB-24はバランス崩して高度を下げていったので撃墜認定された。美濃部損傷した月光で無事着陸した中川泣きながら握手をし、その殊勲称賛したが、この対空特攻がのちの特別攻撃隊編成機運盛り上げることになった猪口回想している。この撃墜認定されたB-24「ミス・リバティ号」は、甚大な損傷油圧系統パイプ切断されながらも、ローランド・T・フィッシャー中尉巧み操縦最寄りのオウィ島に不時着したが、全損廃棄となった中川決死活躍はあったものの、月光夜間戦闘機隊の本来の任務である敵爆撃機迎撃任務思うよう戦果上げることが出来ない美濃部は、戦闘901を「新戦術」と称して従来夜間の空戦任務から、夜間の機動部隊等への銃爆撃偵察任務といった夜襲による進攻戦法シフトしていくこととした。 9月9日には、進攻戦法実践すべくアメリカ軍機動部隊への夜襲計画し稼働全機となる月光9機、零戦2機をレイテ島タクロバン飛行場集結命じている。美濃部ダバオ第2飛行場からタクロバンに向かう予定であったが、出発前にアメリカ軍艦載機空襲受けてダバオ配備されていた戦闘901月光3機と零戦1機は全機被弾、うち1機が大破、2機が中破し、また美濃部指揮下の作戦機地上撃破されてしまい、拘り持って進めてきたアメリカ軍機動部隊への夜襲作戦を、自分指揮下の航空隊実施しながらまったく関与できなくなってしまった。作戦美濃部不在でも決行されて、深夜雄大尉を指揮官として三号爆弾搭載した月光3機がフィリピン東方洋上索敵攻撃出撃している。この攻撃は、美濃部遺稿によれば率いる「レイテ島分遣隊単独作戦とされているが、実際に戦闘901月光稼働全機集結して総力攻撃作戦であった月光隊はアメリカ軍機動部隊接触することなく2機が未帰還指揮官雄大尉を含む4名が戦死、もう1機もF6Fヘルキャット攻撃偵察員が戦死し操縦の陶三郎上飛曹が損傷した機体でどうにか10日未明生還するという一方的な惨敗喫して失敗終わっている。

※この「捷号作戦前」の解説は、「美濃部正」の解説の一部です。
「捷号作戦前」を含む「美濃部正」の記事については、「美濃部正」の概要を参照ください。

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