飛行第53戦隊とは? わかりやすく解説

飛行第53戦隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 07:08 UTC 版)

富山飛行場」の記事における「飛行第53戦隊」の解説

1945年昭和20年6月27日、第10飛行師団長は飛行第53戦隊長に対し一部兵力割いて富山飛行場派遣し第13方面軍司令官指揮下に入るように命じた。この措置富山大空襲#伏木新湊方面空襲に伴う港湾地区防衛のためのもので、桜井少尉宮下太郎少尉らの二式複座戦闘機7機が配備された。その後港湾地区対す空襲はなかったが、1945年昭和20年7月行われた富山大空襲#富山市におけるパンプキン爆弾富山大空襲直前8月1日には米軍機対す反撃のために出撃したといわれ、このうち8月1日出撃においては1機の二式複座戦闘機四方製材所墜落し搭乗員2名(荒 俊男少尉同乗高橋兵長)が戦死する事故起こっている。 同年8月2日富山大空襲において富山飛行場二式複座戦闘機出撃たかどうかは諸説あり、例え北日本新聞社編纂した富山大空襲においては一機も迎撃を行わなかったとしているが、確かに戦闘機富山飛行場より飛んでいくのを見たという証言存在する米軍資料においては富山大空襲を行うに際し、5機の戦闘機遭遇したなどと報告されているが、これらの戦闘機富山飛行場より出撃したものであるかは明らかではない。 同月14日深夜から15日未明にかけて第20航空軍所属の第313爆撃航空団B-2939機が日本海側4都市港湾機雷投下し石川県七尾湾機雷投下した思われるB-29富山上空通過し、これを二式複座戦闘機迎撃富山上空照空灯照らし出されB-29下方から銃撃B-29直ち照空圏外離脱したため、戦果不明だ富山飛行場より出撃空中戦行ったことを、同機操縦していた、今井潤一氏が証言している。

※この「飛行第53戦隊」の解説は、「富山飛行場」の解説の一部です。
「飛行第53戦隊」を含む「富山飛行場」の記事については、「富山飛行場」の概要を参照ください。

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