“防空飛行師団”の創設とは? わかりやすく解説

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“防空飛行師団”の創設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/03 04:24 UTC 版)

第10飛行師団 (日本軍)」の記事における「“防空飛行師団”の創設」の解説

太平洋戦争大東亜戦争)における中部太平洋方面情勢悪化し陸軍中央部本土防空強化するため1944年昭和19年3月8日軍令甲第27号を下令した。これは東京都北多摩郡調布飛行場置かれていた第17飛行団司令部復帰解消し、第10飛行師団司令部臨時編成するのである3月10日司令部編成完結し大陸命961号による師団編合も完結した。第10飛行師団第1航空軍司令官隷下置かれ作戦行動においては本土全体防衛統轄する防衛総司令部指揮下で主として関東地区防空あたった。 第10飛行師団司令部の編成完結時における隷下部隊次のとおりである。 航空部隊 独立飛行17中隊一〇〇式司令部偵察機使用調布飛行場飛行18戦隊三式戦闘機使用調布飛行場飛行47戦隊二式単座戦闘機使用柏飛行場飛行第244戦隊三式戦闘機使用調布飛行場東部軍直協飛行隊 地上部隊 第3飛行場大隊 第6飛行場大隊 第7飛行場大隊43飛行場大隊244飛行場大隊 第1対空無線隊 第2対空無線隊 第17航空情報隊 このほか隷属関係にはないが作戦遂行上の指揮下部隊として、飛行第1戦隊一式戦闘機使用柏飛行場)と飛行70戦隊二式単座戦闘機使用松戸飛行場)があった。さらに4月には第13航空通信隊が、5月には飛行第53戦隊二式複座戦闘機使用松戸飛行場)が第10飛行師団隷下部隊となった。また明野陸軍飛行学校分校下志津陸軍飛行学校などの教官あるいは助教や、陸軍航空審査部技量優れた操縦者がいることを利用しそれぞれ数機から十数機ほどで編成する小規模部隊通称「東二号部隊」として臨時に第10飛行師団指揮下に入れ防空任務兼務させた。 指揮官司令部編成当初前身である第17飛行団長の佐藤正一少将師団長心得となったが、3月28日第1航空軍参謀長であった吉田喜八郎少将交代した。第10飛行師団は緊急性の高い防空部隊特質上、指揮結節少なくすることを主な理由として師団の下に飛行団設けず師団長が各飛行戦隊直接指揮した。 師団司令部は第17飛行団司令部継承し調布飛行場置かれた。これは飛行部隊指揮飛行場で行わなければならないとの飛行団当時考えよるものである。しかし師団として指揮下の部隊各地増えたことで通信連絡が重要との認識から、5月5日、第10飛行師団司令部各種防空情報がすべて集まり諸設備完備する東京都神田区竹橋東部軍司令部内に移動した。 同じ5月5日大陸命1003下令により本土統帥一元強化目的とする機構改編が行われ、5月10日0時をもって10飛行師団第1航空軍隷下から脱し防衛総司令部直轄として編入された。

※この「“防空飛行師団”の創設」の解説は、「第10飛行師団 (日本軍)」の解説の一部です。
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