第1航空軍司令官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 07:21 UTC 版)
各地の航空隊を視察する時は必ず現地の神社を参拝した。1944年(昭和19年)7月26日には副官や参謀を伴って空母鳳翔に乗艦し、海軍の攻撃七〇八飛行隊(一式陸上攻撃機装備)や攻撃四〇五飛行隊(銀河装備)とともに合同で夜間雷撃訓練を行なっていた麾下の陸軍飛行九八戦隊(四式重爆撃機装備)を視察した。この部隊は後に海軍の指揮下で台湾沖航空戦に参加した。 部下には優しく、副官や参謀の意見にもよく耳を傾けた。自ら航空軍の歌を作り、司令部職員にも指導したという。酒にも強く、宴会にも必ず出席し、芸者の出る席を好んだという。一方で李玖によれば、李垠はこの頃暗い顔で「陛下に申し訳がない。わが国の飛行機は、B-29が飛行する高さまで飛んで行って体当たりのできる飛行機も、人も、燃料もなくなってきた」と述懐していたという。
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