飛行第62戦隊長として戦死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 00:16 UTC 版)
「新海希典」の記事における「飛行第62戦隊長として戦死」の解説
拝謁の翌日、飛行第62戦隊長に任命された。上司の第30戦闘飛行集団長青木武三少将は、生粋の戦闘機乗りであり、新海とは合わなかった。南の家に泊まった新海は「今度がいよいよご奉公の終わりになるかもしれん。どうも戦闘隊出の上司が多いと、戦闘機みたいな使い方をされるんで」と、あとは言葉を濁した。 3月、戦隊は特攻を命ぜられた。新海はこれに強く反駁した。「戦隊はご存じのようにまだ戦力を回復しておりません(新海)」「存じておる(青木)」「その微力な戦隊を何故小刻みに特攻につかおうとなさるのでありますか。戦力は小刻みにではなく重点的に集中使用を図るべきであろうと考えます。私には集団長の御意向が理解できないのであります(新海)」「分からんのか(青木)」「小編隊による爆撃隊の投入では、目標につくまでの途中でみすみす艦載機に食われてしまうおそれのあることは十分ご存じのことと思うのでありますが(新海)」「その危険はある。だが差し迫った首都防衛のためには止むを得まい。もちろん掩護戦闘機は十分つけるようにする(青木)」「十分つけるだけの戦闘機はあるのでありますか(新海)」「・・・・・・(青木)」「掩護戦闘機は十分あるにいたしましても、特攻ではなく跳飛弾攻撃、又は魚雷攻撃の方法をとれば、重爆隊の戦力は何度でも繰り返し使えるのであります。損害はその都度ありましょうが、残るものもあり得ましょう。その方が絶対に得策であると考えます(新海)」「貴官の意とするところは、十分理解している。だが先ほども申したとおり、事態は切迫しているのだ。命中率のより高い特攻戦法にたよる他に手はあるまいが(青木)」「特攻戦法をとらざるを得ないに致しましても、戦隊は、まだ、技量向上の余地が極めて大であります。それをいまの時点で特攻に使用するのは、下策であると思うのであります。姑息な手段としか考えられないのであります(新海)」「すでに決定したことである(青木)」「やむを得ません。私が先頭にたち、突入いたします(新海)」「戦隊長みずからの特攻出撃は許さん(青木)」「戦隊の非力を補うためには、それでも…(新海)」「ならん!何度言えばわかるのだ!(青木)」 隊に帰った新海は、中隊長伊藤忠吾大尉に特攻隊の編成を命じた。伊藤は三浦忠雄中尉(少尉候補生22期)を隊長に選んだ。3月19日14時30分、攻撃隊員と戦果確認機搭乗員が整列した。新海はとつとつとした口調で「この出動は不本意であるが、新海も共にゆき、お前たちの最後を見届ける。力の限りを尽くして貰いたい」と語った。隊員が、いっせいにうなずく。「今日はどこまでも突っ込むよ」と新海は笑いながら三浦に言った。熊野灘で編隊はF4U戦闘機に襲われた。攻撃目標の機動部隊が下にいると考えた三浦は機首を下げ、雲に突っ込んだ。渡部真少尉(航空士官学校57期)機が続いた。後方を見上げた三浦の目に、戦闘機にまとわりつかれながら水平飛行を維持する新海搭乗の四式重爆撃機が映った。こうして戦果確認機として出撃した新海も戦死し、2階級特進して大佐となった。享年28であった。(以上、伊庭稜太郎『飛竜天ニ在リ』より)
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