第5の哨戒 1942年11月 - 1943年1月
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「シードラゴン (潜水艦)」の記事における「第5の哨戒 1942年11月 - 1943年1月」の解説
11月23日、シードラゴンは5回目の哨戒でビスマルク諸島方面に向かった。11月29日、シードラゴンは哨戒海域に到着し、ラバウルとショートランド間の交通路を哨戒した。12月1日以降の10日間、シードラゴンはブナへの日本軍の増援を挫折させるべく、ニューブリテン島近海で哨戒。いくつかの成功しなかった接触があった。12月11日朝、シードラゴンはセント・ジョージ岬沖で貨物船と商船を発見し、魚雷を2本発射。そのうちの1本が陸軍輸送船浄宝縷丸(南洋海運、6,187トン)のメインマスト下に命中したが、沈没しなかった。シードラゴンは護衛艦の爆雷攻撃で追い散らされ、止めの一撃を与えることを阻止された。 12月21日、シードラゴンはセント・ジョージ岬沖で敵潜水艦を発見。射点を確保し、魚雷を3本発射。1本目は命中せず、2本目も発射後18秒で爆発。3本目が見事に命中し、ブナへの増援に従事していた伊号第四潜水艦(伊4)を撃沈した。しかし、2本目の魚雷の早期爆発の影響でシードラゴンも損傷した。爆発により前部発射管室の乗組員を倒し、また、1番発射管に装てんされていた魚雷が誤作動を起こした。不測の事態を回避すべく、この魚雷を強引に発射したが、その代償で1番発射管の外側の扉が破損した。シードラゴンは一時コントロールを失ったが、魚雷がシードラゴンの艦尾近くで爆発した後、元に戻った。 12月25日、シードラゴンは南緯05度02分 東経152度33分 / 南緯5.033度 東経152.550度 / -5.033; 152.550の地点で、コロンバンガラ島への輸送任務に就いていた特設運送船南海丸(大阪商船、8,416トン)を発見。魚雷を発射し1本が命中した。さらに、南海丸は回避運動中に護衛の駆逐艦卯月と衝突し、船首を損傷した。翌12月26日に哨戒海域を去ったシードラゴンは、1943年1月7日に46日間の行動を終えて真珠湾に帰投。フェラル艦長は艦船局に異動となって退艦し、ロイヤル・L・ルッター少佐(アナポリス1930年組)に代わった。シードラゴンはオーバーホールのためメア・アイランド海軍造船所に回航され、1月16日から4月8日の間に改装された。この改装で、シードラゴンに新しい電池とレーダーが取り付けられ、3インチ砲の位置も前部に移された。シードラゴンは改装終了後、4月中旬に真珠湾に向かった。
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