第5の哨戒 1943年6月 - 7月とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第5の哨戒 1943年6月 - 7月の意味・解説 

第5の哨戒 1943年6月 - 7月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/21 04:48 UTC 版)

ハリバット (潜水艦)」の記事における「第5の哨戒 1943年6月 - 7月」の解説

6月10日ハリバット5回目哨戒トラック諸島方面向かった6月12日ジョンストン島補給行い6月20日ごろにトラック近海到着する到着間もなくハリバット駆逐艦護衛され輸送船発見するが、攻撃圏内入ってこなかった。3日後の6月23日にも輸送船駆逐艦遭遇し相手爆雷攻撃を行うそぶりなどを見せ攻撃を行う隙を見せなかった。7月10日夜、ハリバット北緯10度37東経15045分 / 北緯10.617度 東経150.750度 / 10.617; 150.750のトラック北方170海里地点空母雲鷹特設巡洋艦愛国丸大阪商船10,437トン)、2隻の駆逐艦発見した雲鷹愛国丸横須賀7月6日出撃してトラック向かっていたもので、雲鷹九九式艦上爆撃機27機と零戦45機を輸送であったハリバット魚雷を6本発射し、うち1本ないし3本愛国丸命中して損傷与えた。この哨戒ではこれ以外に攻撃機会は訪れなかった。7月16日にはグアム偵察しアプラ港内に2隻の大型輸送船停泊しているのを確認する7月28日ハリバット49日間の行動終えてミッドウェー島帰投艦長がイグナティス・J・ギャランティン(英語版少佐アナポリス1933年組)に代わった。

※この「第5の哨戒 1943年6月 - 7月」の解説は、「ハリバット (潜水艦)」の解説の一部です。
「第5の哨戒 1943年6月 - 7月」を含む「ハリバット (潜水艦)」の記事については、「ハリバット (潜水艦)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第5の哨戒 1943年6月 - 7月」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第5の哨戒 1943年6月 - 7月」の関連用語

第5の哨戒 1943年6月 - 7月のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第5の哨戒 1943年6月 - 7月のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのハリバット (潜水艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS