第5の哨戒 1944年5月 - 6月
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「ポンポン (潜水艦)」の記事における「第5の哨戒 1944年5月 - 6月」の解説
5月6日、ポンポンは5回目の哨戒で日本近海に向かった。九州沖、豊後水道方面で哨戒した後、哨区を東に移動させた。5月28日午後、ポンポンは北緯32度43分 東経132度39分 / 北緯32.717度 東経132.650度 / 32.717; 132.650の地点で単独航行の輸送船を発見して魚雷を3本発射したが、命中しなかった。2日後の5月30日朝には、北緯33度15分 東経134度11分 / 北緯33.250度 東経134.183度 / 33.250; 134.183の室戸岬沖30度3海里地点で1隻の商船を発見した。高知から大阪に向かっていた貨客船滋賀丸(関西汽船、742トン)に対して魚雷を3本発射し、うち1本が滋賀丸の中央部に命中して滋賀丸は轟沈し、残る2本は陸上に命中して爆発した。攻撃直後、ポンポンは5時間もの制圧を受けたが切り抜けた。その後ポンポンは東京湾口方面に移動し、サイパンの戦いの援護に向かう艦隊や輸送船団が出てくるのを見張り、いくつか目標も発見したが、戦闘は起こらなかった。6月25日、ポンポンは50日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。
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