第5の哨戒 1944年9月 - 11月とは? わかりやすく解説

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第5の哨戒 1944年9月 - 11月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/22 18:29 UTC 版)

コッド (潜水艦)」の記事における「第5の哨戒 1944年9月 - 11月」の解説

9月18日コッド5回目哨戒ブルーギル (USS Bluegill, SS-242) 、アングラー (USS Angler, SS-240) とウルフパック構成しルソン島ミンダナオ島方面向かったダーウィン寄港の後、哨区に到着10月5日午後コッド北緯13度01東経12015分 / 北緯13.017度 東経120.250度 / 13.017; 120.250のミンドロ島近海マミ11船団発見し最初の攻撃魚雷を6本発射。うち3本が2隻のタンカー命中した判断される。2時間後の二度目攻撃では、最初の攻撃速力落ちた輸送船辰城丸(辰馬汽船、6,886トンに対して魚雷を4本発射し全て命中させて辰城丸を撃沈した10月7日未明には僚艦レイ (USS Ray, SS-271) からの情報基づいて目標接近し北緯13度39東経11924分 / 北緯13.650度 東経119.400度 / 13.650; 119.400のマニラ北西方特務艦知床発見して魚雷を4本発射、うち2本を命中させて撃破した。翌10月8日にもレイ情報に基づき北緯13度42東経11924分 / 北緯13.700度 東経119.400度 / 13.700; 119.400の地点で1,500トン輸送船に対して魚雷を6本発射したが、目標推定18ノット走り回っていたためか命中しなかった。10月22日朝、コッド北緯1630東経11949分 / 北緯16.500度 東経119.817度 / 16.500; 119.817の地点100トン海上トラック発見し浮上して4インチ砲の射撃機銃掃射行ったが、命中弾を与えたものの取り逃がす10月23日から25日レイテ沖海戦では引き続きルソン島西岸部で待機10月25日にはマニラ接近しつつある輸送船団情報入り、その輸送船団フィリピンの戦い投入される第一師団片岡董中将)の将兵軍需品満載したモマ04船団には浅間丸日本郵船16,975トン)の名前もあった。コッド浮上したままレーダー使用してモマ04船団接近していき、北緯1734東経12002分 / 北緯17.567度 東経120.033度 / 17.567; 120.033の地点にて浅間丸に対して魚雷を4本発射した命中しなかった。10月30日からはサイパン島からの指令を受けるようになり、フィリピン東方海上行動する11月20日コッド59日間行動終えて真珠湾帰投メア・アイランド海軍造船所回航されてオーバーホール入ったオーバーホール終えたコッドは、1945年3月7日真珠湾戻った

※この「第5の哨戒 1944年9月 - 11月」の解説は、「コッド (潜水艦)」の解説の一部です。
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