第5の哨戒 1944年5月 - 7月とは? わかりやすく解説

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第5の哨戒 1944年5月 - 7月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 17:06 UTC 版)

ハーダー (SS-257)」の記事における「第5の哨戒 1944年5月 - 7月」の解説

5月26日ハーダー5回目哨戒で、レッドフィン (USS Redfin, SS-272) とともにセレベス海方面向かった。この哨戒は、ハーダー艦歴のうちでも最も輝かしいものとなった6月6日夜、ハーダー北緯0405東経11930分 / 北緯4.083度 東経119.500度 / 4.083; 119.500のタウィタウィボルネオ島挟まれセレベス海スールー海を結ぶシブツ海峡で、特設運送船給油)興川丸(川崎汽船10,043トン)を護衛する駆逐艦若月および水無月レーダー探知するハーダー浮上したまま15ノット航行中船団追跡したが、月明かりによってハーダー存在相手知れてしまった。水無月ハーダー撃沈すべく艦首向けてきたため、ハーダー潜航し水無月艦首を向け、水無月が1,000メートルにまで接近してきた時に魚雷3本発射し、うち2本が水無月艦首艦橋直下命中して水無月は5分以内沈んでいった。ハーダー第二撃として若月対し魚雷を6本発射した命中しなかった。 6月7日早朝ハーダー北緯0443東経12003分 / 北緯4.717度 東経120.050度 / 4.717; 120.050のタウィタウィ沖で日本飛行機発見して潜航した程なく、この日の対潜掃討従事していた駆逐艦早波出くわす早波ハーダー潜望鏡発見し全速力突撃していった。ハーダー600メートルという至近距離まで早波引きつけ早波真正面から魚雷3本発射。うち2本が早波中央部命中して1143分に早波轟沈させた。この轟沈劇は、ハーダー早波発見してからわずか10分弱の出来事であり、早波乗員士官1人除いて全員戦死、その他も44名しか生き残らなかった。ハーダー徹底していない爆雷攻撃受けたが、何も起こらなかった。ハーダー夕刻浮上しシブツ海峡経由してボルネオ島北東沖に向かった。翌6月8日夜、ハーダーボルネオ島一角北緯0525東経11902分 / 北緯5.417度 東経119.033度 / 5.417; 119.033の地点で、諜報活動行っていたイギリス人6名と連絡を取ることに成功しフリーマントル出撃時から同乗していたオーストラリア軍W・J・ジンキンス中佐上陸させる6月9日夕刻ハーダー北緯0542東経12041分 / 北緯5.700度 東経120.683度 / 5.700; 120.683のタウィタウィ沖でジグザグ航行中の2隻の駆逐艦がいることを確認したハーダーレーダー操作できる深度潜航し戦闘配置令した。この時、対潜掃討のため駆逐艦磯風島風早霜谷風出動していた。このうち、最も近くにいた谷風ターゲットとして選定されハーダーはじっと観測続けた谷風通常のジグザグ航行行っていると判断され潜望鏡深度深度変えた。やがて、ハーダー谷風はT字型で交わるような態勢となり、ハーダー900メートルの距離から魚雷を4本発射した最初魚雷谷風の前を通過していったが、2番目と3番目の魚雷谷風艦首艦橋真下命中し4本目逸れていった。2本の魚雷命中した谷風は、2225分にすさまじ爆発起こしながら轟沈した。ハーダーは2隻目の駆逐艦攻撃すべく準備したが、逸れた4本目魚雷命中するかも知れない判断され攻撃控えられた。沈み行く谷風から起こる爆発水中にいたハーダーをも揺るがせ、潜望鏡視界いっぱいに目もくらむような爆発による閃光見え谷風は完全に姿を消したハーダーしばらくしてから浮上し周囲探索したが、夜のためか谷風残骸物らしきものは見つからなかった。お約束爆雷攻撃があった後、ハーダータウィタウィ南側移動するが、6月10日未明件のジンキンス中佐イギリス人6名を収容することは忘れなかった。 6月10日夕刻ハーダー北緯0433東経12007分 / 北緯4.550度 東経120.117度 / 4.550; 120.117のタウィタウィ南方ビアク島救援第三次渾作戦参加すべくタウィタウィ出撃してきた戦艦大和武蔵以下の艦隊発見追跡したハーダー大和、武蔵左舷側に位置し潜望鏡観測していた。その時武蔵高角砲が数発潜望鏡めがけて発射され、また駆逐艦沖波35ノット高速突進してきた。ハーダー沖波が約1,200メートルになるまで引き寄せ沖波真正面から魚雷3本発射し爆発音聴取し撃沈判定したものの実際かわされており、逆にハーダーは2時間わたって爆雷攻撃受けたハーダー深深度まで潜航した小さなダメージ受けたハーダー深夜浮上して艦隊発見司令部打電した後、ライトブイを発見駆逐艦打撃与えた判断された。6月21日魚雷補給すべく一度ダーウィン立ち寄りフロレス海方面哨戒実施した7月3日ハーダー45日間行動終えてダーウィン帰投した。 この5回目哨戒におけるハーダー活躍ぶりは、マリアナ諸島方面戦局に関する日本海軍判断大きな狂い生じさせた。すなわち、ハーダーによる駆逐艦連続撃沈周辺での頻繁なアメリカ側交信により、タウィタウィ複数潜水艦により包囲されていると信じきった連合艦隊司令長官豊田副武大将は、小沢治三郎中将第一機動艦隊予定より早くタウィタウィから立ち去らせる判断下した予定大幅に狂わされ小沢中将は、搭乗員鍛錬十分にできないままマリアナ諸島方面進撃し6月19日マリアナ沖海戦迎えることとなった

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