第5の哨戒 1944年1月 - 3月
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「スヌーク (潜水艦)」の記事における「第5の哨戒 1944年1月 - 3月」の解説
1944年1月6日、スヌークは5回目の哨戒で東シナ海に向かった。1月23日未明、スヌークは北緯30度06分 東経141度19分 / 北緯30.100度 東経141.317度 / 30.100; 141.317の小笠原諸島近海で1隻の大型輸送船と護衛艦を発見し、魚雷を6本発射。魚雷は特設砲艦まがね丸(日本海運、3,120トン)に2本命中してこれを撃沈。2月8日には、北緯31度06分 東経128度36分 / 北緯31.100度 東経128.600度 / 31.100; 128.600の草垣群島近海でモタ02船団から発せられた煙を発見し、追跡の上夜に入って攻撃に移る。北緯31度08分 東経129度37分 / 北緯31.133度 東経129.617度 / 31.133; 129.617の地点で魚雷を4本発射し、うち2本を陸軍輸送船白根山丸(三井船舶、4,739トン)の船首に命中させたが、白根山丸は沈没せず引き返し、これと相前後して陸軍輸送船りま丸(日本郵船、6,989トン)にも魚雷が命中して撃沈した。2時間にわたって21発の爆雷を投じられたスヌークはこれをしのぎ切り、2月9日深夜から2月10日未明にかけては、北緯30度55分 東経129度38分 / 北緯30.917度 東経129.633度 / 30.917; 129.633の地点で対潜掃討中の敷設艇鴎に対して魚雷を4本発射するが回避される。2月14日夜には北緯33度48分 東経128度50分 / 北緯33.800度 東経128.833度 / 33.800; 128.833の対馬海峡で輸送船日徳丸(中村汽船、3,591トン)を発見し、魚雷を3本発射して1本を命中させて撃沈。翌15日にも北緯34度23分 東経128度23分 / 北緯34.383度 東経128.383度 / 34.383; 128.383の巨済島沖で輸送船鴎丸(日本製鐵、875トン)を発見して、魚雷を2本発射して1本を命中させ、こちらも撃沈した。2月20日、スヌークは北緯29度15分 東経132度27分 / 北緯29.250度 東経132.450度 / 29.250; 132.450の1隻の大型空母と2隻の駆逐艦を発見するが、19ノットの速力で航行していたため7,000ヤードまで接近するのが精いっぱいだった。ミッドウェー島に帰投途中の2月23日には、北緯28度49分 東経141度13分 / 北緯28.817度 東経141.217度 / 28.817; 141.217の地点で近在の僚艦プランジャー (USS Plunger, SS-179) とともに輸送船団を発見、攻撃し、夜に入って魚雷を5本発射。この攻撃で輸送船香洋丸(東洋汽船、5,471トン)を撃沈した。3月6日、スヌークは60日間の行動を終えて真珠湾に帰投。ハンターズ・ポイント海軍造船所に回航されオーバーホールに入った。また、艦長がジョージ・H・ブローン少佐(アナポリス1934年組)に代わった。
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第5の哨戒 1944年1月 - 3月
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「ティノサ (潜水艦)」の記事における「第5の哨戒 1944年1月 - 3月」の解説
1944年1月10日、ティノサは5回目の哨戒で南シナ海に向かった。1月20日に北ボルネオに位置するラブアン島に諜報部隊とその物資5,000ポンドを揚陸した。2日後の1月22日午後、ティノサは北緯07度22分 東経115度05分 / 北緯7.367度 東経115.083度 / 7.367; 115.083のラブアン島沖で駆逐艦若竹に護衛された第3202船団を発見。魚雷を4本発射し、2隻の応急タンカー、広進丸(広海汽船、5,485トン)と青南丸(日本製鐵、5,400トン)に魚雷を命中させて撃沈した。攻撃後、ティノサは戦果拡大のため浮上戦を策し、三度にわたって魚雷を3本ずつ計9本発射して、いくつかの命中弾を与えたと判断された。2月上旬までミリ近海で哨戒の後、スリガオ海峡を通ってミンダナオ島近海に移動した。2月15日、ティノサは北緯10度04分 東経126度54分 / 北緯10.067度 東経126.900度 / 10.067; 126.900のシャルガオ島東南東で、セブからハルマヘラ島へ陸軍兵を輸送していたH17船団を発見。夜に入って2つの目標に向けて魚雷を3本ずつ計6本発射し、魚雷は陸軍輸送船小田月丸(会陽汽船、1,988トン)に2本が命中しこれを撃沈したが、ティノサは当初撃破と判断していた。翌2月16日未明には北緯08度32分 東経126度58分 / 北緯8.533度 東経126.967度 / 8.533; 126.967の地点で、H17船団から分離して単独で航行していた陸軍輸送船長城丸(東亜海運、2,610トン)に向けて魚雷を3本発射し、1本ないし3本すべてを命中させて撃沈した。攻撃後、ティノサはミッドウェー島に針路を向ける。2月19日には、北緯16度53分 東経141度02分 / 北緯16.883度 東経141.033度 / 16.883; 141.033の地点でレーダーにより3つの目標を探知し、目標に接近した上で翌2月20日未明に北緯18度03分 東経141度03分 / 北緯18.050度 東経141.050度 / 18.050; 141.050の地点で魚雷を2本発射したが、命中しなかった。その後もこの目標を観測し続けたが、護衛の駆逐艦の砲撃にさえぎられて観測は打ち切られた。3月4日、ティノサは55日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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