第5の哨戒 1944年2月 - 4月
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「タニー (潜水艦)」の記事における「第5の哨戒 1944年2月 - 4月」の解説
2月27日、タニーは5回目の哨戒でパラオ諸島に向かった。3月2日にミッドウェー島に寄港して給油し、哨戒海域に針路を向けた。3月15日ごろに到着し哨戒を開始。3月20日、タニーはパラオ西水道付近を哨戒中に水上偵察機に発見され、対潜爆弾を投下される。タニーはやむを得ず哨区を北へ移動した。3月22日、タニーは北緯07度11分 東経131度59分 / 北緯7.183度 東経131.983度 / 7.183; 131.983の地点でレーダーにより大輸送船団を探知。タニーが攻撃位置に移動している最中に護衛艦がタニーを発見し向かってきたが、タニーはスコールの中に逃げ込みつつ船団との接触を続け、その間に2隻の大型輸送船を攻撃目標を選んで魚雷を3本ずつ計6本発射。命中音は聞こえたが、その時小型タンカーが潜望鏡の視界いっぱいに接近しており、事故の回避に手一杯となった。やがて、特設駆潜艇が爆雷攻撃を開始し、また艦尾方向に駆逐艦と思われる高速艦艇がいたので、マーク18型電池魚雷(英語版)を4本発射した後、海底に潜むことにした。以後4時間もの間、タニーは87発の爆雷を投じられたが、被害は受けなかった。丸一日たってから浮上し周辺を捜索したが、残骸と油膜らしきものしか見当たらなかった。この攻撃による戦果は「9,000トン級輸送船2隻と峯風型駆逐艦1隻に魚雷を命中させた」と判定された。翌23日、タニーはアンガウル島周辺に移動し、21時19分に、北緯07度05分 東経134度05分 / 北緯7.083度 東経134.083度 / 7.083; 134.083の地点で浮上中の伊号第四十二潜水艦(伊42)をレーダーで探知。タニーは1時間かけて伊42を追跡しながら徐々に自艦に有利な体勢に持ち込み、23時24分に1,700メートルの距離から伊42へ向けて魚雷を4本発射した。ほどなく、うち2本が命中し猛烈な閃光が確認され、閃光は司令塔の中にまで差し込み、乗員の中には「反撃を食らった」と錯覚した者もいた。46メートルの深度に潜航して様子をうかがうと、伊42が圧壊する音が聴取された。タニーは再びパラオ西水道に戻って哨戒を続けた。3月29日、タニーは北緯07度30分 東経134度30分 / 北緯7.500度 東経134.500度 / 7.500; 134.500の地点で巨大な目標を含む艦隊と遭遇した。この巨大な目標は予期される第58任務部隊(マーク・ミッチャー中将)のパラオ空襲から逃れようとパラオから出港してきた戦艦武蔵であり、軽巡洋艦大淀や駆逐艦を従え、21ノットの速力で北に向かっていた。タニーは最初武蔵を「浮きドック」と判断し、次に「金剛型戦艦」と判断していた。タニーは武蔵の後方に接近し、艦首発射管から魚雷を6本発射した。6本のうち3本が武蔵に向かい、武蔵は2本を回避したが残り1本が武蔵の艦首部に命中。武蔵は左右12メートル、上下は喫水線から艦底に至る10メートルの破口を生じ、多量の浸水を生じた。タニーは護衛の駆逐艦浦風と磯風から反撃され、爆雷38発を投下されたがかわした。3月30日未明、タニーはパイロット救助のための所定位置に到着し、第58任務部隊の空襲を待った。7時過ぎに空襲が開始され、港が煙に包まれているのが確認できた。正午過ぎにタニーは移動しかけたその時、空母ヨークタウン (USS Yorktown, CV-10) の搭載機2機がタニーに向かってきた。搭載機はタニーを日本潜水艦と誤認していたのか、1機はタニーに機銃掃射を行い、もう1機が爆弾を投じて至近弾となり、タニーの艦体は衝撃で飛び上がった。遅れて爆発が起こり、まだ使っていない魚雷が故障した。損傷を受けたタニーは、夜には修理を終わり、翌3月31日にも救助任務に従事した。タニーは4月2日に哨区を後にしてミルン湾に向かい、4月7日に到着して応急修理の後出港。4月11日、タニーは44日間の行動を終えてブリスベンに帰投。この哨戒での戦功に対し、2度目の殊勲部隊章が授けられた。
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