第5の哨戒 1944年4月 - 6月
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「ボーフィン (潜水艦)」の記事における「第5の哨戒 1944年4月 - 6月」の解説
4月24日、ボーフィンは5回目の哨戒でパラオ方面に向かった。5月14日、ボーフィンは北緯08度55分 東経133度42分 / 北緯8.917度 東経133.700度 / 8.917; 133.700のパラオ北北西190キロ地点で3隻の護衛艦に囲まれた2隻の貨物船からなる輸送船団を発見。この時、この輸送船団にはアスプロ (USS Aspro, SS-309) が張り付いていた。5時54分、ボーフィンは船団中の美山丸(日本郵船、4,667トン)に対して魚雷を発射。アスプロも魚雷を発射した。どちらの魚雷かは定かではないが、美山丸は船尾に魚雷が命中し、8時47分に沈没した。ボーフィンはミッドウェー島に向かう途中、短期間ながら救助配備任務に就いた。6月21日、ボーフィンは58日間の行動を終えて真珠湾に帰投。ボーフィンのこの哨戒は、ボーフィンの全哨戒の中で最も期間の長かった哨戒として記録された。
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