第5の哨戒 1943年7月 - 9月とは? わかりやすく解説

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第5の哨戒 1943年7月 - 9月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 14:54 UTC 版)

ホエール (潜水艦)」の記事における「第5の哨戒 1943年7月 - 9月」の解説

7月21日ホエール5回目哨戒東シナ海向かった8月4日から6日にかけて台風翻弄され艦内侵入してきた海水によって、いくつかの機器故障してしまった。翌7日には小笠原諸島近海到達8月8日朝、ホエール北緯2415東経14245分 / 北緯24.250度 東経142.750度 / 24.250; 142.750の硫黄島南東地点で、駆逐艦朝凪特設運送船(給兵)鳴門丸(日本郵船、7,149トンからなる第4731船団発見魚雷を4本発射し、うち2本を鳴門丸の中央部後部命中させ、鳴門丸は右舷傾きながら沈んでいった。ホエール8月9日から10日間はこの近海哨戒し、8月20日台風シーズン真っ只中東シナ海移動。ここでも3日台風翻弄された。8月24日未明ホエール北緯3055東経12900分 / 北緯30.917度 東経129.000度 / 30.917; 129.000の草垣群島西方20マイル地点輸送船団発見し魚雷を4本発射して2つ爆発音聞き、7,000トン輸送船10,000トンタンカー撃破した判断された。ミッドウェー島への帰途について2日後8月26日朝にも、北緯3042東経13406分 / 北緯30.700度 東経134.100度 / 30.700; 134.100の地点で2隻の輸送船千鳥型水雷艇思しき護衛艦、フ806船団発見し魚雷を4本発射した命中せず魚雷使い果たした9月7日ホエール46日間行動終えて真珠湾帰投真珠湾オーバーホール入った

※この「第5の哨戒 1943年7月 - 9月」の解説は、「ホエール (潜水艦)」の解説の一部です。
「第5の哨戒 1943年7月 - 9月」を含む「ホエール (潜水艦)」の記事については、「ホエール (潜水艦)」の概要を参照ください。

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