大西洋での第1から第5の哨戒 1942年10月 - 1943年7月
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「ブラックフィッシュ (潜水艦)」の記事における「大西洋での第1から第5の哨戒 1942年10月 - 1943年7月」の解説
10月19日、ブラックフィッシュは最初の哨戒で西アフリカのダカール方面に向かった。ニューヨーク州ロングアイランドの最東端モントーク岬(英語版)を出航し、トーチ作戦支援に急行。11月9日、ブラックフィッシュは北緯17度45分 西経14度50分 / 北緯17.750度 西経14.833度 / 17.750; -14.833の地点で3隻の輸送船と2隻の駆逐艦を発見して魚雷を2本発射し、1本が7,000トン級輸送船に命中した。11月25日、ブラックフィッシュは37日間の行動を終えてスコットランドのロスネース(英語版)に帰投した。 12月20日、ブラックフィッシュは2回目の哨戒でイベリア半島西岸方面に向かった。この哨戒では中立国スペイン船を目撃した以外は、さしたる事件はなかった。1943年1月18日、ブラックフィッシュは29日間の行動を終えてロスネースに帰投した。 2月1日、ブラックフィッシュは3回目の哨戒でビスケー湾、ビルバオ方面に向かった。この哨戒でも相変わらず目撃するのはスペイン船ばかりであったが、2月19日夕刻、ブラックフィッシュは北緯43度30分 西経02度54分 / 北緯43.500度 西経2.900度 / 43.500; -2.900の地点でスペイン船とは明らかに趣が異なる2隻のドイツの艦船を発見。魚雷を2本ずつ計4本発射し、1本がドイツ哨戒艇 VP 408 に命中して撃沈したものの、直後に反撃を受け損傷した。この戦果の詳細が分かったのは戦後になってからのことだった。2月22日、ブラックフィッシュは22日間の行動を終えてコーンウォールのファルマスに帰投。デヴォンポート(英語版)に回航され、同地のイギリス海軍の乾ドックで修理が行われた。 4月5日、ブラックフィッシュは4回目の哨戒でアイスランド近海に向かった。この海域ではUボートの出入りを警戒した。5月14日、ブラックフィッシュは39日間の行動を終えてロスネースに帰投。艦長がエリオット・オルセン少佐(アナポリス1927年組)に代わった。 6月8日、ブラックフィッシュは5回目の哨戒で北大西洋に向かった。哨戒を終えると、そのままアメリカ本土に針路を向けた。7月26日、ブラックフィッシュは48日間の行動を終えてニューロンドンに帰投した。ブラックフィッシュは修理後、太平洋戦線に投入され、パナマ運河地帯を経てブリスベンに回航された。また、ダヴィッドソン少佐が艦長として復帰した。
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大西洋での第1から第5の哨戒 1942年10月 - 1943年7月
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「シャード (潜水艦)」の記事における「大西洋での第1から第5の哨戒 1942年10月 - 1943年7月」の解説
10月19日、シャードは最初の哨戒でモロッコ沿岸に向かった。トーチ作戦準備のために上陸予定地を偵察。この哨戒で攻撃の機会はなかった。11月23日、シャードは35日間の行動を終えてコーンウォールのファルマスに帰投した。この後、シャードはスコットランドのロスネース(英語版)に回航された。 12月20日、シャードは2回目の哨戒でビスケー湾およびスペイン沿岸に向かった。同方面で遭遇した船舶の大半は中立国スペインの船舶だったが、1943年1月4日朝に、.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯43度54分08秒 西経02度42分04秒 / 北緯43.90222度 西経2.70111度 / 43.90222; -2.70111のビスケー湾でドイツ掃海艇 M4242 とはしけを浮上砲戦で撃沈。1月9日朝には北緯43度44分05秒 西経02度27分06秒 / 北緯43.73472度 西経2.45167度 / 43.73472; -2.45167の地点でトロール船風のタグボートを発見して魚雷を2本発射するが、命中しなかった。1月25日にも北緯43度27分08秒 西経02度59分02秒 / 北緯43.45222度 西経2.98389度 / 43.45222; -2.98389の地点でドイツの封鎖突破船ノルドフェルス (Nordfels) を発見し、三度にわたって魚雷を計7本発射して2本を命中させ撃破した。2月12日、シャードは44日間の行動を終えてクライド湾に帰投した。 3月7日、シャードは3回目の哨戒でビスケー湾に向かった。4月1日未明には、北緯44度37分 西経02度18分 / 北緯44.617度 西経2.300度 / 44.617; -2.300の地点でドイツ駆逐艦の厳重な護衛がついたイタリアの封鎖突破船ピエトロ・オルセオーロ (Pietro Orseolo) を発見し、魚雷を計8本発射。封鎖突破船と護衛のうちの2隻を沈めたとし、マクレガーはイギリスのDistinguished Service Crossを授与されたが、実際は「ピエトロ・オルセオーロ」に1本が命中したのみであった。4月12日、シャードは37日間の行動を終えてクライド湾に帰投。艦長がローランド・F・プライス少佐(アナポリス1927年組)に代わった。 5月4日、シャードは4回目の哨戒でノルウェー海域に向かった。しかし、この哨戒では敵艦船を見ることはなかった。6月16日、シャードは43日間の行動を終えてクライド湾に帰投。マクレガー少佐が艦長として復帰した。 7月5日、シャードは5回目の哨戒で大西洋に向かった。この哨戒は、アメリカへの帰還のついでに行われた形となった。7月27日、シャードは19日間の行動を終えてコネチカット州ニューロンドンに帰投。ニューロンドンで一旦修理された後、この方面に投入されていたバーブ (USS Barb, SS-220) など他のガトー級潜水艦とともに太平洋の前線に移動し、対日戦に参加することとなった。9月7日に真珠湾に到着したシャードは、二週間の間潜航の間に受けた損傷の修理を受けた。
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「バーブ (潜水艦)」の記事における「大西洋での第1から第5の哨戒 1942年10月 - 1943年7月」の解説
10月20日、バーブは最初の哨戒で北アフリカ沿岸部に向かった。バーブはこの哨戒で11月8日から実施された北アフリカ侵攻作戦支援の偵察を行った。11月25日、バーブは36日間の行動を終えてスコットランドのロスネース(英語版)に帰投した。 12月16日、バーブは2回目の哨戒でスペイン沿岸部に向かった。この哨戒では敵艦船の姿は見なかった。1943年1月18日、バーブは31日間の行動を終えてロスネースに帰投した。 2月1日、バーブは3回目の哨戒でスペイン沿岸部に向かった。ビーゴ近海で哨戒したが、この哨戒でも敵艦船の姿は見なかった。3月9日、バーブは37日間の行動を終えてロスネースに帰投した。 4月1日、バーブは4回目の哨戒でノルウェーとアイスランド間の北海に向かった。しかし、この哨戒でも攻撃の機会はなかった。5月14日、バーブは44日間の行動を終えてロスネースに帰投した。 6月8日、バーブは5回目の哨戒で大西洋に向かった。哨戒期間中の7月1日に大西洋方面でのアメリカ潜水艦の作戦が終了。7月24日、バーブは41日間の行動を終えてコネチカット州ニューロンドンに帰投。翌7月25日から8月7日にかけて短期オーバーホールが行われた後、バーブは真珠湾に回航された。
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