大西洋での通商破壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 16:06 UTC 版)
「アドミラル・ヒッパー (重巡洋艦)」の記事における「大西洋での通商破壊」の解説
ノルウェーから戻った「アドミラル・ヒッパー」は大西洋での通商破壊戦に投入されることとなり、9月24日にキール(またはヴィルヘルムスハーフェン)より出撃。しかし、25日、まだスカゲラク海峡も抜けていない段階(またはスタヴァンゲル沖)で右舷主冷却ポンプが故障。クリスチャンサンで修理が行われた。クリスチャンサン滞在中に右舷のタービンで原因不明の異常振動が見られ、出航後の27日にそれが原因で今度は潤滑油供給管が破損する事態が発生。漏れた油は発火し、またタービン動作中に注油ができなくなると深刻な損傷が発生するため推進器を一つ使用停止にせざるを得なかった。これにより作戦は中止となり、「アドミラル・ヒッパー」はKorsfjordを経て9月30日にキールに戻った。 10月2日、ハンブルクのブローム・ウント・フォス社で入渠。10月28日に修理は完了し、試験や訓練のためバルト海へ移動した。11月18日、キール着。 1940年11月28日、ブルンスビュッテル着。30日、大西洋での作戦(ノルトゼートゥーア作戦)に出撃した。Hjeltfjord(またはベルゲン付近のELte Fjord)でタンカー「Wollin」から給油を受けると、そこからは護衛の水雷艇と別れ、12月2日には北極圏に入った。タンカー「Adria」から給油を受けた後、「アドミラル・ヒッパー」はしばらく待機させられた。作戦の支援にあたる予定であった給油艦「Dithmarschen」がエンジントラブルで引き返しており、フランスから出港するタンカー「Friedrich Breme」と「Thorn」が配置につくのを待つためであった。12月6日夜、「アドミラル・ヒッパー」はデンマーク海峡を通過した。 まずは艦長のマイゼルはHX93船団を狙ったが、燃料不足となり12月12日夜に「Friedrich Breme」と合流して給油を受けた。また、右舷側の低圧タービンで損傷が発生し出せる速度が25ノットなったが、これはアルフレート・ゲルドナー機関大尉のチームによって修理された。給油後、次はHX94船団を目標としたが、今度は天候が悪化し被害も生じた。再び「Friedrich Breme」から給油を受けると、HX94船団とSC15船団を狙ったが、発見できなかった。12月20日に再度給油を受けると、マイゼルは獲物をSL船団に切り替えた。SL58船団とSLS58船団を探したが発見できず、12月22日には今度は中央のエンジンで問題が発生した。12月23日、「Friedrich Breme」から給油。 12月24日20時45分(16時48分)、フィニステレ岬の西約700浬で「アドミラル・ヒッパー」のレーダーが船団らしきものを捉えた。それは兵員輸送船団WS5Aであった。WS5A船団は、約40000人を乗せた20隻の輸送船と重巡洋艦「ベリック」、軽巡洋艦「ボナヴェンチャー」、「ダニーディン」、駆逐艦6隻および航空機輸送中の空母「フューリアス」からなっていた。しかし、マイゼルは船団の護衛は弱いと判断していた。マイゼルは夜明けを待って攻撃することとした。25日1時53分、「アドミラル・ヒッパー」は潜水艦の仕業と判断されることを期待して船団に対して魚雷3本を発射したが、外れた。 12月25日6時8分、船団に接近した「アドミラル・ヒッパー」の見張りは重巡洋艦の姿を捉えた。マイゼルはまず雷撃をしようとしたが遅れが生じ、6時39分に「アドミラル・ヒッパー」が砲撃を開始するとその影響で発射管に不具合が発生して雷撃は出来ずに終わった。「アドミラル・ヒッパー」から2分遅れて「ベリック」も砲撃を開始。一方、「アドミラル・ヒッパー」は船団の船も砲撃し、「Empire Trooper」(13994トン)と「Arabistan」(5874トン)を損傷させた。マイゼルはイギリス軽巡洋艦を駆逐艦と誤認し、雷撃を警戒。また、マイゼルは同等の敵との交戦を避けるよう命じられており、視界不良の状況を利用して戦場離脱を図った。 6時51分に再び「アドミラル・ヒッパー」から「ベリック」が視認され、砲戦が再開された。7時5分、「ベリック」のX砲塔に8インチ砲弾が命中し、同砲塔は使用不能となった。その後、「アドミラル・ヒッパー」は「ベリック」にさらに3発の命中弾を与えた。7時14分に戦闘は終了した。この戦闘では「アドミラル・ヒッパー」は損害を受けたかった。 この後マイゼルはフランスへ向かうことを決めた。12月25日10時ごろ貨物船「ジュムナ (Jumna)」(6,078トン)を発見し、撃沈。燃料欠乏および敵の存在から救助活動はなされず、「ジュムナ」には111名が乗っていたが生存者はいなかった。12月27日、「アドミラル・ヒッパー」はブレストについた。 1941年1月27日まで修理が行われ、2月1日に「アドミラル・ヒッパー」は再び大西洋へ出撃。船団攻撃の許可が下りるまでアゾレス諸島付近でタンカー「シュピヘルン(ドイツ語版)」と共に待機した。許可は9日2320分に届いた。「アドミラル・ヒッパー」は潜水艦「U37」が追跡していたHG53船団に向かった。この船団は航空攻撃を受け、「U37」は残った船を始末するよう命じられたが、「U37」は船団との接触を失った。2月11日、「アドミラル・ヒッパー」はHG53船団から落伍したイギリス貨物船「Iceland」(1236トン)を発見し、沈めた。同日、マイゼルはHG53船団の発見と攻撃を命じられた。23時30分、「アドミラル・ヒッパー」のレーダーに反応があった。「アドミラル・ヒッパー」が捕らえたのはSLS64船団で、19隻の船で構成され護衛はなかった。2月12日朝、「アドミラル・ヒッパー」は船団に接近し、マイゼルは6時18分に主砲の発砲許可を、次いで雷撃の許可を出した。戦闘は7時40分に打ち切られた。SLS64船団に対する攻撃で「アドミラル・ヒッパー」はイギリス船「Warlaby」(4876トン)、「Westbury」(4712トン)、「Oswestry Grange」(4684トン)、「Shrewsbury」(4542トン)、「Derrynane」(4896トン)、ギリシャ船「Perseus」(5172トン)、ノルウェー船「Borgestad」(3924トン)を沈め、「Lornaston」と「Kalliopi」(および「Volturno」)を損傷させた。2月14日(15日)、ブレストに帰投。 「アドミラル・ヒッパー」は修理と機関の調査のためドイツ本国に戻る必要があり、3月15日に出航。3月23日にデンマーク海峡を通過し、ベルゲンで給油をして3月28日にキールに到着。キールのドイチェヴェルケで大規模な改修が実施された。
※この「大西洋での通商破壊」の解説は、「アドミラル・ヒッパー (重巡洋艦)」の解説の一部です。
「大西洋での通商破壊」を含む「アドミラル・ヒッパー (重巡洋艦)」の記事については、「アドミラル・ヒッパー (重巡洋艦)」の概要を参照ください。
- 大西洋での通商破壊のページへのリンク