大西洋での戦い(1943年4~7月)
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「テリー (DD-513)」の記事における「大西洋での戦い(1943年4~7月)」の解説
2月にボストンで艤装作業を終えた後、グアンタナモ湾沖で公試を行い、次の公試のためボストンに戻った。4月2日、彼女はボストンからノーフォークへ移動した。二日後、ニューファンドランドのアルジェンシャ海軍基地(英語版)へ向け護衛部隊と共に北上した。8日に到着し翌日に出航した。11日に燃料補給のためメイン州ポートランドに停まり、翌日にアメリカ北東海岸沖での対戦任務に就いた。 4月18日、ドイツのUボートに肉薄した。まず、テリーは会敵地点の周辺に爆雷を投下して結果を待った。その後、艦首へまっすぐ接近する魚雷をソナーが検知した。テリーが回避のため転舵すると、恐ろしい魚雷は艦尾を通り過ぎて行った。直後、海面の油膜と残骸を見つけ、損傷した敵潜水艦の無駄な探索にブラウンソンが加わった事を受けて戦闘を終了した。20日、パトロール再開前の燃料と物資の補給のため数時間ほどナラガンセット湾に入港した。その後、墜落したアメリカ陸軍爆撃機の生存者を救出し4月23日にニューヨークへ上陸させた。 他の短いパトロールとニューヨーク入港の後、北アフリカでの任務のため第67任務部隊の所属艦として5月1日にアメリカを出航した。バミューダ諸島に停まった後、単独でカサブランカへ向かった。12日に到着し、修理と戦闘訓練のための1週間を開始した。19日にカサブランカを出航しテキサス (BB-35)と共に帰路についた。5月31日にボストン海軍工廠に到着し、艦ドックに入渠した。6月9日に出渠し同日中に出航した。イギリス領西インド諸島への航路の前にメイン州のカスコ湾とノーフォークに短時間停まった。6月20日にトリニダードに到着し9日間対潜哨戒と砲撃訓練を行った。6月29日にトリニダードを出航し、フィラデルフィア海軍工廠へ向かった。7月3日には目的地まであと少しという所まで来たが、同日中にノーフォークへ向かうよう命じられた。
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