大西山の崩壊とは? わかりやすく解説

大西山の崩壊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 04:50 UTC 版)

小渋川」の記事における「大西山の崩壊」の解説

この構造線西側伊那山地)は風化した花崗岩マイロナイト鹿塩マイロナイト鹿塩片麻岩)を中心とした山地で、特に地質が脆い。このため小渋川中流左岸山崩れ起こしやすく、青木川合流地点ではかつて大規模な崩落甚大な被害出したことがある1961年昭和36年)の梅雨台風による集中豪雨で、青木川左岸聳える大西山(1741m)の山腹が高さ450m、幅500m厚さ15mにわたって崩壊した。 これによっておよそ320m3 に及ぶ土砂によって2つ集落飲み込まれ死者行方不明者42名、重軽傷642名の被害出した失われた家屋39戸、水田30町あまりが失われた。これは中央構造線上で起きた土砂災害としては最悪のものである大崩落起きたのは6月29日の朝9時10分と記録されている。このとき鉄筋コンクリート製の小中学校の体育館にも土砂押し寄せて破壊された。普段であれば体育授業中のはずだったが、臨時休校としていたために児童への被害免れた破壊され家屋土砂飲み込まれたものだけでなく、山の崩壊に伴う突風によって倒壊したものもあった。このほか支流の滝沢川田島沢沿いでも、集落三六災害によって無人になった。 この豪雨では小渋川流域ではほかにも近隣山崩れ起きたほか、伊那谷あちこち甚大な被害出した。これが昭和36年起きたことから長野県ではこれを「三六災害」と称し今でも毎年土砂災害対策振り返る日となっている。大鹿村では、災害以前にあった集落全戸移転してしまい、これが過疎化拍車をかけることになった崩壊地は「賽の河原」と化したが、のちに3000本の植樹され大西公園となり、今では桜の名所として親しまれている。

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大西山の崩壊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/24 15:57 UTC 版)

昭和36年梅雨前線豪雨」の記事における「大西山の崩壊」の解説

6月29日午前9時10分頃、下伊那郡大鹿村大西山(1741メートル)が、当時山裾流れていた小渋川天竜川水系)に向かって山体崩壊トップリング)し、川の水巻き込んだ土砂一瞬にして対岸集落呑み込んだ崩落範囲は高さ450メートル、幅280メートルで、大量土砂推定280350立方メートル)の突端現在の国道152号越え付近まで到達したという。この崩落により田畑分教場などと共に39戸が土砂呑まれ死者42名を出した。またそれまで豪雨よるもの含めると大鹿村だけで500戸以上が被害受けた。(小渋川#大西山の崩壊、小渋川#鹿塩川参照。)

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