第3、第4、第5の哨戒 1944年1月 - 8月とは? わかりやすく解説

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第3、第4、第5の哨戒 1944年1月 - 8月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/01 14:13 UTC 版)

レイポン (潜水艦)」の記事における「第3、第4、第5の哨戒 1944年1月 - 8月」の解説

1944年2月13日、レイポンは3回目の哨戒南シナ海向かった。レイポンは隅々まで目を凝らして目標探し出し戦果挙げていった。3月8日午後、レイポンは北緯1924東経11609分 / 北緯19.400度 東経116.150度 / 19.400; 116.150の香港南東380キロ地点でタサ08船団発見魚雷を4本発射し輸送船豊国丸(日本製鐵、5,792トン)に魚雷命中して同船航行不能に陥らせた。豊国丸は香港に向かうこととなり、輸送船鈴丸日産汽船、5,396トン)が曳航したが、翌2月9日未明北緯1944東経11552分 / 北緯19.733度 東経115.867度 / 19.733; 115.867の地点で日鈴丸豊国丸に対して魚雷3本ずつ発射し反転してさらに魚雷を4本発射魚雷は日鈴丸命中して撃沈し曳航船失った豊国丸も漂流した沈没していった。3月10日朝には北緯1927東経11823分 / 北緯19.450度 東経118.383度 / 19.450; 118.383の地点浮上砲戦25トン漁船破壊。翌3月11日、レイポンは北緯1945分 東経12013分 / 北緯19.750度 東経120.217度 / 19.750; 120.217の地点2つ大型マスト発見。さらに観測すると、相手は2隻の「山城戦艦」と空母重巡洋艦を含む艦隊だった。リンガ泊地に向かう空母瑞鶴戦艦金剛および榛名重巡洋艦最上第十戦隊からなる艦隊レイポンに気づかず、またレイポンも瑞鶴におよそ5,000ヤード最上に3,200ヤードにまで接近した攻撃はできず、艦隊をやり過ごしてから浮上して情報打電した3月15日にも北緯1957東経11945分 / 北緯19.950度 東経119.750度 / 19.950; 119.750の地点75トン漁船発見して浮上砲戦破壊3月16日夜、レイポンは北緯1814東経11744分 / 北緯18.233度 東経117.733度 / 18.233; 117.733の地点タマ11A船団発見し魚雷を6本発射爆発3つ確認したものの、実際には、魚雷特設運送船國川丸川崎汽船、6,863トン)に向かっていったが、命中しなかった。3月17日夜に北緯1900東経11730分 / 北緯19.000度 東経117.500度 / 19.000; 117.500の地点でヒ48船団発見3月18日未明にいたり、北緯1924東経11650分 / 北緯19.400度 東経116.833度 / 19.400; 116.833の地点魚雷を4本発射し特設運送船北陸丸(大阪商船、8,365トン)に2本目から4本目魚雷命中し北陸丸は大爆発起こして轟沈した。4月1日、レイポンは47日間行動終えてフリーマントル帰投した。 4月25日、レイポンは4回目の哨戒南シナ海向かった5月13日、レイポンは北緯0534東経10837分 / 北緯5.567度 東経108.617度 / 5.567; 108.617の地点タウィタウィに向かう小沢治三郎中将率い第一機動艦隊一隊発見し空母の姿をスケッチ留めた。5月23日夜には、マニラからサイゴンに向かう輸送船団発見し魚雷を6本発射する全て外れ、これを見た陸軍輸送船うゑいるず丸(川崎汽船、6,586トン)が警戒汽笛鳴らした。2時間後に二度目攻撃行い北緯0730東経10908分 / 北緯7.500度 東経109.133度 / 7.500; 109.133の地点魚雷を4本発射して2本が海軍徴傭備前丸(日本郵船、4,667トン)に命中して撃沈。うゑいるず丸に魚雷向かってきたが、今回回避成功した。2時間置いて三度目攻撃入り北緯0720東経10903分 / 北緯7.333度 東経109.050度 / 7.333; 109.050の地点魚雷を4本発射して、うゑいるず丸に全て命中させ撃沈した四度目の攻撃で残る輸送船に対して魚雷を6本発射し、2本が命中した判断された。やがて護衛駆潜艇制圧したが、レイポンは全力逃げて何事もなかった。5月27日朝、レイポンは北緯0745分 東経10830分 / 北緯7.750度 東経108.500度 / 7.750; 108.500の地点で「伊一六八型潜水艦」を発見し魚雷を2本発射した命中せず相手去っていった。6月6日、レイポンは42日間行動終えてフリーマントル帰投した。 6月29日、レイポンは5回目哨戒南シナ海向かった7月14日、レイポンはミリ近郊バラム近海で「球磨型軽巡洋艦」と「吹雪型駆逐艦」あるいは「初春型駆逐艦」と目される艦艇発見したが、攻撃はできなかった。7月17日夜に北緯0800東経11438分 / 北緯8.000度 東経114.633度 / 8.000; 114.633のボルネオ島西岸輸送船団発見し魚雷を6本発射する命中しなかった。次いで艦尾発射管から魚雷を4本発射し2つ命中確認三度目攻撃でも魚雷を4本発射し2つ命中があったとされた。一連の攻撃でレイポンは特設測量艦第三十六共同丸(阿波国共同汽船、1,499トン)と、特設駆潜艇加茂丸(日本海洋漁業234トン)および鞍馬丸(日本海洋漁業233トン)を撃沈した7月31日夜には、北緯0850東経11600分 / 北緯8.833度 東経116.000度 / 8.833; 116.000のパラワン島南西部シマ02船団発見し船団中に割って入って魚雷を計9本発射魚雷タンカー天心丸(日本油槽船、5,061トン)と輸送船日永丸(日本郵船、5,397トン)に命中し天心丸を撃沈し日永丸を撃破した8月10日、レイポンは42日間行動終えてフリーマントル帰投艦長ドナルド・G・バール少佐アナポリス1937年組)に代わった。

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第3、第4、第5の哨戒 1944年1月 - 8月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/26 20:50 UTC 版)

ホー (潜水艦)」の記事における「第3、第4、第5の哨戒 1944年1月 - 8月」の解説

1944年1月26日ホー3回目の哨戒ミンダナオ島およびハルマヘラ島方面向かった2月16日夜、ホー北緯0604東経12622分 / 北緯6.067度 東経126.367度 / 6.067; 126.367の地点で6隻の輸送船中心とする輸送船団発見し夜に入って魚雷を計10発射4つ魚雷命中音と3つの爆発聴取した2月25日未明には、北緯0550東経12600分 / 北緯5.833度 東経126.000度 / 5.833; 126.000ダバオ湾(英語版入り口のサンアウグスティン岬南南西55キロ地点で、バリクパパンからダバオ向かっていた特設運送船給油)の日章丸昭和タンカー10,526トン)と国洋丸(国洋汽船10,026トン)および特設運送艦旭東丸(飯野海運10,051トン)、護衛駆逐艦島風および発見ホー船団先頭タンカー向けて魚雷を4本発射し、2本が命中するのを確認する1時間後に再び魚雷を6本発射し3本命中して爆発3つ響いた記録。さらに魚雷を4本発射し2つ命中確認した一連の攻撃日章丸撃沈し旭東丸に損傷与えた3月5日ホー38日間行動終えてフリーマントル帰投した。 4月4日ホー4回目の哨戒南シナ海向かった5月8日朝、ホー北緯1919東経12000分 / 北緯19.317度 東経120.000度 / 19.317; 120.000のルソン海峡でヒ61船団発見し、8,000トン輸送船に対して魚雷を4本、4,000トンタンカーに対して魚雷を2本発射魚雷タンカーあかね丸石原汽船10,238トン)に命中してこれを撃破した5月17日午後に11隻の輸送船団発見するが、攻撃できる隙がなかったので夜間攻撃を行うことに決した夜に入って浮上すると、件の輸送船団見方潜水艦両方発見。やがて、その味方潜水艦攻撃を行う様子望見したが、肝心味方潜水艦ホー問いかけには無反応だった。ホー5月18日未明北緯12度27東経11635分 / 北緯12.450度 東経116.583度 / 12.450; 116.583の地点魚雷を5本発射し3つの目標魚雷命中した判定した5月19日夜に北緯13度00東経11910分 / 北緯13.000度 東経119.167度 / 13.000; 119.167の地点輸送船団発見し日付5月20日変わってから2つ目標に対して魚雷を計10発射6つ爆発音とどろき少なくとも2本が命中するのを確認した5月28日にはダーウィン寄港6月2日ホー59日間行動終えてフリーマントル帰投した。 6月29日ホー5回目哨戒南シナ海向かった7月5日から6日にかけてダーウィン寄港ののち、南シナ海に入る。7月20日朝、ホー北緯1617東経11931分 / 北緯16.283度 東経119.517度 / 16.283; 119.517の地点でヒ69船団発見し魚雷を4本発射魚雷船団から遅れていたタンカー天栄丸(日東汽船10,241トン)に向かった命中しなかった。7月25日には北緯13度38東経11539分 / 北緯13.633度 東経115.650度 / 13.633; 115.650の地点伊九型潜水艦遣独潜水艦作戦帰り伊号第二九潜水艦伊29)と思しき潜水艦に対して魚雷を6本発射した命中しなかった。結果的にこの哨戒においては戦果はなかった。8月23日ホー55日間行動終えてフリーマントル帰投した。

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