第3、第4、第5の哨戒 1944年1月 - 8月
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「レイポン (潜水艦)」の記事における「第3、第4、第5の哨戒 1944年1月 - 8月」の解説
1944年2月13日、レイポンは3回目の哨戒で南シナ海に向かった。レイポンは隅々まで目を凝らして目標を探し出し、戦果を挙げていった。3月8日午後、レイポンは北緯19度24分 東経116度09分 / 北緯19.400度 東経116.150度 / 19.400; 116.150の香港南東380キロ地点でタサ08船団を発見。魚雷を4本発射し、輸送船豊国丸(日本製鐵、5,792トン)に魚雷が命中して同船を航行不能に陥らせた。豊国丸は香港に向かうこととなり、輸送船日鈴丸(日産汽船、5,396トン)が曳航したが、翌2月9日未明北緯19度44分 東経115度52分 / 北緯19.733度 東経115.867度 / 19.733; 115.867の地点で日鈴丸と豊国丸に対して魚雷を3本ずつ発射し、反転してさらに魚雷を4本発射。魚雷は日鈴丸に命中して撃沈し、曳航船を失った豊国丸も漂流した後沈没していった。3月10日朝には北緯19度27分 東経118度23分 / 北緯19.450度 東経118.383度 / 19.450; 118.383の地点で浮上砲戦で25トン漁船を破壊。翌3月11日、レイポンは北緯19度45分 東経120度13分 / 北緯19.750度 東経120.217度 / 19.750; 120.217の地点で2つの大型マストを発見。さらに観測すると、相手は2隻の「山城型戦艦」と空母、重巡洋艦を含む艦隊だった。リンガ泊地に向かう空母瑞鶴、戦艦金剛および榛名、重巡洋艦最上、第十戦隊からなる艦隊レイポンに気づかず、またレイポンも瑞鶴におよそ5,000ヤード、最上に3,200ヤードにまで接近したが攻撃はできず、艦隊をやり過ごしてから浮上して情報を打電した。3月15日にも北緯19度57分 東経119度45分 / 北緯19.950度 東経119.750度 / 19.950; 119.750の地点で75トン漁船を発見して浮上砲戦で破壊。3月16日夜、レイポンは北緯18度14分 東経117度44分 / 北緯18.233度 東経117.733度 / 18.233; 117.733の地点でタマ11A船団を発見し、魚雷を6本発射。爆発を3つ確認したものの、実際には、魚雷は特設運送船國川丸(川崎汽船、6,863トン)に向かっていったが、命中しなかった。3月17日夜には北緯19度00分 東経117度30分 / 北緯19.000度 東経117.500度 / 19.000; 117.500の地点でヒ48船団を発見。3月18日未明にいたり、北緯19度24分 東経116度50分 / 北緯19.400度 東経116.833度 / 19.400; 116.833の地点で魚雷を4本発射し、特設運送船北陸丸(大阪商船、8,365トン)に2本目から4本目の魚雷が命中し、北陸丸は大爆発を起こして轟沈した。4月1日、レイポンは47日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 4月25日、レイポンは4回目の哨戒で南シナ海に向かった。5月13日、レイポンは北緯05度34分 東経108度37分 / 北緯5.567度 東経108.617度 / 5.567; 108.617の地点でタウィタウィに向かう小沢治三郎中将率いる第一機動艦隊の一隊を発見し、空母の姿をスケッチに留めた。5月23日夜には、マニラからサイゴンに向かう輸送船団を発見し魚雷を6本発射するも全て外れ、これを見た陸軍輸送船うゑいるず丸(川崎汽船、6,586トン)が警戒汽笛を鳴らした。2時間後に二度目の攻撃を行い、北緯07度30分 東経109度08分 / 北緯7.500度 東経109.133度 / 7.500; 109.133の地点で魚雷を4本発射して2本が海軍徴傭船備前丸(日本郵船、4,667トン)に命中して撃沈。うゑいるず丸にも魚雷が向かってきたが、今回も回避に成功した。2時間置いて三度目の攻撃に入り、北緯07度20分 東経109度03分 / 北緯7.333度 東経109.050度 / 7.333; 109.050の地点で魚雷を4本発射して、うゑいるず丸に全て命中させ撃沈した。四度目の攻撃で残る輸送船に対して魚雷を6本発射し、2本が命中したと判断された。やがて護衛の駆潜艇が制圧したが、レイポンは全力で逃げて何事もなかった。5月27日朝、レイポンは北緯07度45分 東経108度30分 / 北緯7.750度 東経108.500度 / 7.750; 108.500の地点で「伊一六八型潜水艦」を発見し、魚雷を2本発射したが命中せず、相手は去っていった。6月6日、レイポンは42日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 6月29日、レイポンは5回目の哨戒で南シナ海に向かった。7月14日、レイポンはミリ近郊バラム岬近海で「球磨型軽巡洋艦」と「吹雪型駆逐艦」あるいは「初春型駆逐艦」と目される艦艇を発見したが、攻撃はできなかった。7月17日夜には北緯08度00分 東経114度38分 / 北緯8.000度 東経114.633度 / 8.000; 114.633のボルネオ島西岸で輸送船団を発見し、魚雷を6本発射するも命中しなかった。次いで艦尾発射管から魚雷を4本発射し、2つの命中を確認。三度目の攻撃でも魚雷を4本発射し、2つの命中があったとされた。一連の攻撃でレイポンは特設測量艦第三十六共同丸(阿波国共同汽船、1,499トン)と、特設駆潜艇加茂丸(日本海洋漁業、234トン)および鞍馬丸(日本海洋漁業、233トン)を撃沈した。7月31日夜には、北緯08度50分 東経116度00分 / 北緯8.833度 東経116.000度 / 8.833; 116.000のパラワン島南西部でシマ02船団を発見し、船団の中に割って入って魚雷を計9本発射。魚雷はタンカー天心丸(日本油槽船、5,061トン)と輸送船日永丸(日本郵船、5,397トン)に命中し、天心丸を撃沈して日永丸を撃破した。8月10日、レイポンは42日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がドナルド・G・バール少佐(アナポリス1937年組)に代わった。
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「ホー (潜水艦)」の記事における「第3、第4、第5の哨戒 1944年1月 - 8月」の解説
1944年1月26日、ホーは3回目の哨戒でミンダナオ島およびハルマヘラ島方面に向かった。2月16日夜、ホーは北緯06度04分 東経126度22分 / 北緯6.067度 東経126.367度 / 6.067; 126.367の地点で6隻の輸送船を中心とする輸送船団を発見し、夜に入って魚雷を計10本発射。4つの魚雷命中音と3つの爆発を聴取した。2月25日未明には、北緯05度50分 東経126度00分 / 北緯5.833度 東経126.000度 / 5.833; 126.000のダバオ湾(英語版)入り口のサンアウグスティン岬南南西55キロ地点で、バリクパパンからダバオに向かっていた特設運送船(給油)の日章丸(昭和タンカー、10,526トン)と国洋丸(国洋汽船、10,026トン)および特設運送艦旭東丸(飯野海運、10,051トン)、護衛の駆逐艦島風および雷を発見。ホーは船団の先頭のタンカーに向けて魚雷を4本発射し、2本が命中するのを確認する。1時間後に再び魚雷を6本発射し、3本が命中して爆発も3つ響いたと記録。さらに魚雷を4本発射し、2つの命中を確認した。一連の攻撃で日章丸を撃沈し、旭東丸にも損傷を与えた。3月5日、ホーは38日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 4月4日、ホーは4回目の哨戒で南シナ海に向かった。5月8日朝、ホーは北緯19度19分 東経120度00分 / 北緯19.317度 東経120.000度 / 19.317; 120.000のルソン海峡でヒ61船団を発見し、8,000トン級輸送船に対して魚雷を4本、4,000トン級タンカーに対して魚雷を2本発射。魚雷はタンカーあかね丸(石原汽船、10,238トン)に命中してこれを撃破した。5月17日午後には11隻の輸送船団を発見するが、攻撃できる隙がなかったので夜間攻撃を行うことに決した。夜に入って浮上すると、件の輸送船団と見方潜水艦の両方を発見。やがて、その味方潜水艦が攻撃を行う様子を望見したが、肝心の味方潜水艦はホーの問いかけには無反応だった。ホーも5月18日未明に北緯12度27分 東経116度35分 / 北緯12.450度 東経116.583度 / 12.450; 116.583の地点で魚雷を5本発射し、3つの目標に魚雷が命中したと判定した。5月19日夜にも北緯13度00分 東経119度10分 / 北緯13.000度 東経119.167度 / 13.000; 119.167の地点で輸送船団を発見し、日付が5月20日に変わってから2つの目標に対して魚雷を計10本発射。6つの爆発音がとどろき、少なくとも2本が命中するのを確認した。5月28日にはダーウィンに寄港。6月2日、ホーは59日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 6月29日、ホーは5回目の哨戒で南シナ海に向かった。7月5日から6日にかけてダーウィンに寄港ののち、南シナ海に入る。7月20日朝、ホーは北緯16度17分 東経119度31分 / 北緯16.283度 東経119.517度 / 16.283; 119.517の地点でヒ69船団を発見し、魚雷を4本発射。魚雷は船団から遅れていたタンカー天栄丸(日東汽船、10,241トン)に向かったが命中しなかった。7月25日には北緯13度38分 東経115度39分 / 北緯13.633度 東経115.650度 / 13.633; 115.650の地点で伊九型潜水艦、遣独潜水艦作戦帰りの伊号第二九潜水艦(伊29)と思しき潜水艦に対して魚雷を6本発射したが命中しなかった。結果的にこの哨戒においては戦果はなかった。8月23日、ホーは55日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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