第3、第4、第5、第6の哨戒 1944年12月 - 1945年8月
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12月13日、クローカーは3回目の哨戒でソーフィッシュ (USS Sawfish, SS-276)、ポンポン (USS Pompon, SS-267) およびアスプロ (USS Aspro, SS-309) とともにウルフパックを組んでルソン海峡および南シナ海方面に向かった。12月25日にサイパン島タナパグ湾(英語版)に寄港するが、その夜に第七六二海軍航空隊の銀河などによる空襲に遭遇する。翌12月26日にタナパグ湾を出港し、哨区に到着。1945年に入りリンガエン湾上陸に先立って行われた、第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シニア中将)や第7艦隊(トーマス・C・キンケイド中将)によるルソン島への攻撃、ルソン島の戦いおよびグラティテュード作戦に対しての救助支援任務に従事することとなった。この哨戒では哨戒艇以上の敵艦と遭遇することはなく、攻撃機会もなかった。2月12日、クローカーは60日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 3月12日、クローカーは4回目の哨戒でインドシナ半島方面に向かった。この哨戒では修理のため、2度ほど細かい修理のためにフリーマントルやエクスマウス湾(英語版)に一時帰還することもあった。また、この哨戒においても攻撃の機会はなかった。4月22日、クローカーは42日間の行動を終えてスービック湾に帰投した。 5月15日、クローカーは5回目の哨戒でジャワ海に向かった。5月30日夜、クローカーは南緯05度09分 東経112度36分 / 南緯5.150度 東経112.600度 / -5.150; 112.600のジャワ海で護衛艦を伴った3隻のタンカーと思しき船のいる輸送船団を発見し、魚雷を6本発射する。6本のうち1本が2,800トン級タンカーに命中して目標は沈没したと判断される。続いて護衛艦に対して魚雷を3本発射し、1本が命中してこれも撃沈したと判定された。三番目の目標に対しても魚雷を計8本発射したが、三番目の目標に対する二度の攻撃は成功せず、三度目の攻撃で魚雷を4本発射し、1本をが2,800トン級タンカーに命中させて沈め、ようやく敵を一掃することができたと記録した。一連の攻撃で特設駆潜艇研海丸(日本海洋漁業、89トン)に護衛された2隻のシャトルボート、第146号交通艇および第154号交通艇を撃沈した。6月5日、クローカーは22日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 7月1日、クローカーは6回目の哨戒で南シナ海および香港方面に向かった。この哨戒では一貫して空襲部隊の救助支援を担当した。8月7日から9日まで台風に翻弄され、8月13日から14日にかけてはスービック湾に寄港する。8月22日、クローカーは47日間の行動を終えてサイパン島に帰投した。
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