第3、第4、第5の哨戒 1942年7月 - 1943年2月とは? わかりやすく解説

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第3、第4、第5の哨戒 1942年7月 - 1943年2月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/26 20:41 UTC 版)

グレナディアー (SS-210)」の記事における「第3、第4、第5の哨戒 1942年7月 - 1943年2月」の解説

7月13日グレナディアー3回目の哨戒トラック諸島方面向かったトラック周辺哨戒艦と哨戒機によって警戒されており、グレナディアー合計28隻もの日本の艦船発見したものの、環礁哨戒機存在はほとんどの攻撃断念させるのには十分であり、この哨戒行われた唯一の攻撃は、7月30日北緯0711東経15122分 / 北緯7.183度 東経151.367度 / 7.183; 151.367の地点発見したカビエンに向かう途中特設運送船給油)さんくれめんて丸(三菱汽船、7,354トン)に対するものであったグレナディアー魚雷3本発射し、うち2本の命中報告したが、日本側の記録は「回避した」とある。9月18日グレナディアー67日間行動終えてフリーマントル帰投した。 10月13日グレナディアー4回目の哨戒インドシナ半島方面向かった10月29日夜、グレナディアートンキン湾口、20現在の位置北緯2024東経10714分 / 北緯20.400度 東経107.233度 / 20.400; 107.233に近い、ハイフォンにつながる水路上に機雷敷設した11月12日未明グレナディアー北緯11度18東経10902分 / 北緯11.300度 東経109.033度 / 11.300; 109.033の地点輸送船撃破直後から護衛艦反撃を受け、海水電池浸して塩素ガス発生。これを浴びた何名かの乗組員帰投まで頭痛吐き気苦しんだ11月16日昼ごろ、北緯12度52東経11419分 / 北緯12.867度 東経114.317度 / 12.867; 114.317の地点次々と煙を発見したグレナディアーは、相手タンカー1隻を含む6隻の輸送船団である事を確認し夜に入って攻撃決定する。しかし、最終的にはこの輸送船団サンジャックから馬公向かっていた第450船団護衛していた駆逐艦早苗追い払われた。11月30日明け方には、北緯0047東経11927分 / 北緯0.783度 東経119.450度 / 0.783; 119.450のマカッサル海峡で、重巡洋艦駆逐艦護衛され龍驤空母思われる艦船発見したものの距離が遠くグレナディアー浮上して位置打電した12月10日グレナディアー58日間行動終えてフリーマントル帰投艦長ジョン・A・フィッツジェラルド少佐アナポリス1931年組)に代わった。 1943年1月1日グレナディアー5回目哨戒ジャワ海方面向かった1月10日グレナディアー南緯0616東経11240分 / 南緯6.267度 東経112.667度 / -6.267; 112.667の地点で、浮上砲戦により日本の国旗掲げていた60トンスクーナー撃沈。翌1月11日には南緯0626東経11255分 / 南緯6.433度 東経112.917度 / -6.433; 112.917のマドゥラ島近海で3,000トン級の貨物船発見し魚雷3本発射した相手備砲反撃開始し結局相手スラバヤ方面へと逃してしまった。1月12日南緯0627東経11252分 / 南緯6.450度 東経112.867度 / -6.450; 112.867のバウエアン島(英語版近海ではしけを曳航している750トン級の小型船発見したグレナディアーは、「魚雷発射するでもない」と判断して浮上し小型船背後回った。しかし、反撃に手こずり、3インチ砲と20ミリ機銃により撃沈したのは夜に入ってからだった。1月13日には小型潜水艦発見小型潜水艦は「元はオランダ海軍のもので、それを日本海軍浮揚させて再就役させたものだろう」と推定されたが、何事もなく通り過ぎていった。1月22日南緯0126東経11656分 / 南緯1.433度 東経116.933度 / -1.433; 116.933のバリクパパン沖で潜航哨戒していたところ、港外出てきた2隻の貨物船発見して魚雷発射した命中せず逆に駆逐艦制圧受けた哨戒残り期間はマカッサル近海ボルネオ島沿岸部浅海航行したが、不規則な海底の状態によりソナー使いものにならず、成果は上がらなかった。1月31日、この哨戒最後の攻撃南緯0459東経11901分 / 南緯4.983度 東経119.017度 / -4.983; 119.017の地点小型船に対して行われたが、発射した3本魚雷命中せずグレナディアー爆雷攻撃追い散らされた。2月20日グレナディアー51日間行動終えてフリーマントル帰投した。

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