第3、第4、第5の哨戒 1942年7月 - 1943年2月
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「グレナディアー (SS-210)」の記事における「第3、第4、第5の哨戒 1942年7月 - 1943年2月」の解説
7月13日、グレナディアーは3回目の哨戒でトラック諸島方面に向かった。トラック周辺は哨戒艦と哨戒機によって警戒されており、グレナディアーは合計28隻もの日本の艦船を発見したものの、環礁や哨戒機の存在はほとんどの攻撃を断念させるのには十分であり、この哨戒で行われた唯一の攻撃は、7月30日に北緯07度11分 東経151度22分 / 北緯7.183度 東経151.367度 / 7.183; 151.367の地点で発見した、カビエンに向かう途中の特設運送船(給油)さんくれめんて丸(三菱汽船、7,354トン)に対するものであった。グレナディアーは魚雷を3本発射し、うち2本の命中を報告したが、日本側の記録は「回避した」とある。9月18日、グレナディアーは67日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 10月13日、グレナディアーは4回目の哨戒でインドシナ半島方面に向かった。10月29日夜、グレナディアーはトンキン湾口、20時現在の位置北緯20度24分 東経107度14分 / 北緯20.400度 東経107.233度 / 20.400; 107.233に近い、ハイフォンにつながる水路上に機雷を敷設した。11月12日未明、グレナディアーは北緯11度18分 東経109度02分 / 北緯11.300度 東経109.033度 / 11.300; 109.033の地点で輸送船を撃破。直後から護衛艦の反撃を受け、海水が電池を浸して塩素ガスが発生。これを浴びた何名かの乗組員は帰投まで頭痛と吐き気に苦しんだ。11月16日昼ごろ、北緯12度52分 東経114度19分 / 北緯12.867度 東経114.317度 / 12.867; 114.317の地点で次々と煙を発見したグレナディアーは、相手がタンカー1隻を含む6隻の輸送船団である事を確認し、夜に入っての攻撃を決定する。しかし、最終的にはこの輸送船団、サンジャックから馬公に向かっていた第450船団を護衛していた駆逐艦早苗に追い払われた。11月30日の明け方には、北緯00度47分 東経119度27分 / 北緯0.783度 東経119.450度 / 0.783; 119.450のマカッサル海峡で、重巡洋艦と駆逐艦に護衛された龍驤型空母と思われる艦船を発見したものの距離が遠く、グレナディアーは浮上して位置を打電した。12月10日、グレナディアーは58日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がジョン・A・フィッツジェラルド少佐(アナポリス1931年組)に代わった。 1943年1月1日、グレナディアーは5回目の哨戒でジャワ海方面に向かった。1月10日、グレナディアーは南緯06度16分 東経112度40分 / 南緯6.267度 東経112.667度 / -6.267; 112.667の地点で、浮上砲戦により日本の国旗を掲げていた60トンのスクーナーを撃沈。翌1月11日には南緯06度26分 東経112度55分 / 南緯6.433度 東経112.917度 / -6.433; 112.917のマドゥラ島近海で3,000トン級の貨物船を発見し、魚雷を3本発射したが相手も備砲で反撃を開始し、結局相手をスラバヤ方面へと逃してしまった。1月12日、南緯06度27分 東経112度52分 / 南緯6.450度 東経112.867度 / -6.450; 112.867のバウエアン島(英語版)近海ではしけを曳航している750トン級の小型船を発見したグレナディアーは、「魚雷を発射するまでもない」と判断して浮上し、小型船の背後に回った。しかし、反撃に手こずり、3インチ砲と20ミリ機銃により撃沈したのは夜に入ってからだった。1月13日には小型潜水艦を発見。小型潜水艦は「元はオランダ海軍のもので、それを日本海軍が浮揚させて再就役させたものだろう」と推定されたが、何事もなく通り過ぎていった。1月22日、南緯01度26分 東経116度56分 / 南緯1.433度 東経116.933度 / -1.433; 116.933のバリクパパン沖で潜航哨戒していたところ、港外に出てきた2隻の貨物船を発見して魚雷を発射したが命中せず、逆に駆逐艦の制圧を受けた。哨戒の残り期間はマカッサル近海やボルネオ島沿岸部の浅海を航行したが、不規則な海底の状態によりソナーが使いものにならず、成果は上がらなかった。1月31日、この哨戒最後の攻撃が南緯04度59分 東経119度01分 / 南緯4.983度 東経119.017度 / -4.983; 119.017の地点で小型船に対して行われたが、発射した3本の魚雷は命中せず、グレナディアーは爆雷攻撃で追い散らされた。2月20日、グレナディアーは51日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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