第3、第4、第5の哨戒 1942年4月 - 11月
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「シーレイヴン (潜水艦)」の記事における「第3、第4、第5の哨戒 1942年4月 - 11月」の解説
4月2日、シーレイヴンは3回目の哨戒でオランダ領東インド諸島のティモール島に向かった。4月18日、シーレイヴンは日本軍の占拠するティモールから脱出を図った32名のオーストラリア空軍兵士を救助した。その5日後、シーレイヴンは主機関室から火災を発生し、完全に航行不能となった。スナッパー (USS Snapper, SS-185) や駆逐艦が救援に駆けつけ、シーレイヴンのオーストラリア入港を支援した。4月25日、シーレイヴンは23日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 6月28日、シーレイヴンは4回目の哨戒でセレベス島方面に向かった。この哨戒では、特に目ぼしい出来事はなかった。8月6日、シーレイヴンは40日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 9月27日、シーレイヴンは5回目の哨戒で南シナ海に向かった。10月10日から12日にかけて、シーレイヴンはスンダ海峡で複数回の攻撃を行って敵艦に損傷を与えた。この戦果は当初は「6,853トンの日本船撃沈改め撃破、7,915トンのドイツ船撃沈」とされたが、実際の戦果はナチス・ドイツの柳船レーゲンスブルク(Regensburg)の撃破であった。11月17日には、クリスマス島沖で特設運送船日晴丸(日保商会、833トン)を撃沈した。シーレイヴンはこの哨戒で、合計23,400トンの敵艦を沈めたと判断した。11月24日、シーレイヴンは58日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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