第3、第4、第5の哨戒 1942年4月 - 11月とは? わかりやすく解説

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第3、第4、第5の哨戒 1942年4月 - 11月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/02 06:53 UTC 版)

シーレイヴン (潜水艦)」の記事における「第3、第4、第5の哨戒 1942年4月 - 11月」の解説

4月2日、シーレイヴンは3回目の哨戒オランダ領東インド諸島ティモール島向かった4月18日、シーレイヴンは日本軍占拠するティモールから脱出図った32名のオーストラリア空軍兵士救助したその5日後、シーレイヴンは主機関室から火災発生し、完全に航行不能となったスナッパー (USS Snapper, SS-185) や駆逐艦救援駆けつけ、シーレイヴンのオーストラリア入港支援した4月25日、シーレイヴンは23日間の行動終えてフリーマントル帰投した。 6月28日、シーレイヴンは4回目の哨戒セレベス島方面向かった。この哨戒では、特に目ぼしい出来事はなかった。8月6日、シーレイヴンは40日間行動終えてフリーマントル帰投した。 9月27日、シーレイヴンは5回目哨戒南シナ海向かった10月10日から12日にかけて、シーレイヴンはスンダ海峡複数回の攻撃行って敵艦損傷与えた。この戦果当初は「6,853トン日本撃沈改め撃破、7,915トンドイツ撃沈」とされたが、実際戦果ナチス・ドイツ柳船レーゲンスブルクRegensburg)の撃破であった11月17日には、クリスマス島沖で特設運送船日晴丸(日保商会、833トン)を撃沈した。シーレイヴンはこの哨戒で、合計23,400トン敵艦沈めた判断した11月24日、シーレイヴンは58日間行動終えてフリーマントル帰投した。

※この「第3、第4、第5の哨戒 1942年4月 - 11月」の解説は、「シーレイヴン (潜水艦)」の解説の一部です。
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