第5の哨戒 1942年10月 - 11月
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「シール (サーモン級潜水艦)」の記事における「第5の哨戒 1942年10月 - 11月」の解説
10月24日、シールは5回目の哨戒でパラオ方面に向かった。11月15日には貨物船とタンカーを発見したものの、距離が遠すぎて攻撃は諦めた。翌16日、シールは北緯06度16分 東経135度19分 / 北緯6.267度 東経135.317度 / 6.267; 135.317のパラオ南東海域で2隻の護衛艦を付けた5隻の輸送船団を発見し、陸軍船ぼすとん丸(石原産業海運、5,477トン)に向けて魚雷を発射した。その数秒後、シールは衝突され、激しく揺さぶられて照明が消えた。シールは76メートルの深度まで沈降していった。その間に、シールの発射した魚雷はぼすとん丸に命中し、これを撃沈した。4時間後、シールは浮上して調査してみると、潜望鏡は2本ともへし折られ、レーダーも支柱ごと破壊された。艦橋後部のシガレット・デッキには破片が散乱していた。これは日本船がシールの潜望鏡をへし折ったときに出来たものと考えられ、「日本船の塗料の良いサンプルをもたらした」と評された。シールと衝突した船の運命は定かではなかったが、衝突によって穴を開けることは可能と結論付けられた。11月17日、シールは司令部に対し、哨戒を打ち切って真珠湾に向かう旨通告した。11月30日、シールは37日間の行動を終えて真珠湾に帰投。仮修理ののちオーバーホールのためメア・アイランド海軍造船所に回航された。作業後、1943年4月2日に真珠湾に戻った。オーバーホール中に、艦長がハリー・B・ドッジ少佐(アナポリス1930年組)に代わった。 シールのこの哨戒では一つの発見があった。従来、パラオ近辺で哨戒する潜水艦は環礁南東のマラカラル水道付近に配置されていたが、なかなか戦果を挙げられないでいた。シールはシーウルフ (USS Seawolf, SS-197) とともに別の水道に配置されて艦船の出入り状況を調査した。その結果、日本側は北北西部のトーゲル・ムルンギ水道(パラオ西水道)を主に使用していることが分かった。以降、パラオに出入りする艦船を哨戒する潜水艦は、トーゲル・ムルンギ水道方面に配置されることになった。
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