第5の哨戒 1942年10月 - 11月とは? わかりやすく解説

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第5の哨戒 1942年10月 - 11月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/10 21:19 UTC 版)

シール (サーモン級潜水艦)」の記事における「第5の哨戒 1942年10月 - 11月」の解説

10月24日シール5回目哨戒パラオ方面向かった11月15日には貨物船タンカー発見したものの、距離が遠すぎて攻撃諦めた。翌16日シール北緯0616東経135度19分 / 北緯6.267度 東経135.317度 / 6.267; 135.317のパラオ南東海域で2隻の護衛艦付けた5隻の輸送船団発見し陸軍ぼすとん丸(石原産業海運、5,477トン)に向けて魚雷発射した。その数秒後、シール衝突され激しく揺さぶられ照明消えたシール76メートル深度まで沈降ていったその間に、シール発射した魚雷ぼすとん丸に命中し、これを撃沈した4時間後、シール浮上して調査してみると、潜望鏡は2本ともへし折られレーダー支柱ごと破壊された。艦橋後部のシガレット・デッキには破片散乱していた。これは日本船がシール潜望鏡をへし折ったときに出来たものと考えられ、「日本船の塗料良いサンプルもたらした」と評された。シール衝突した船の運命定かではなかったが、衝突によって穴を開けることは可能と結論付けられた。11月17日シール司令部対し哨戒打ち切って真珠湾に向かう旨通告した11月30日シール37日間行動終えて真珠湾帰投。仮修理ののちオーバーホールのためメア・アイランド海軍造船所回航された。作業後、1943年4月2日真珠湾戻ったオーバーホール中に艦長ハリー・B・ドッジ少佐アナポリス1930年組)に代わった。 シールのこの哨戒では一つ発見があった。従来パラオ近辺哨戒する潜水艦環礁南東のマラカラル水道付近に配置されていたが、なかなか戦果挙げられないでいた。シールシーウルフ (USS Seawolf, SS-197) とともに別の水道配置され艦船出入り状況調査したその結果日本側は北北西部のトーゲル・ムルンギ水道パラオ西水道)を主に使用していることが分かった以降パラオ出入りする艦船哨戒する潜水艦は、トーゲル・ムルンギ水道方面配置されることになった

※この「第5の哨戒 1942年10月 - 11月」の解説は、「シール (サーモン級潜水艦)」の解説の一部です。
「第5の哨戒 1942年10月 - 11月」を含む「シール (サーモン級潜水艦)」の記事については、「シール (サーモン級潜水艦)」の概要を参照ください。

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